自分の行動を選択しているのは、誰だ?

PC180036
photo by taka (31MR)

ぼくたちは、自分の行動について
瞬間瞬間を「選択」して生きている。
過去を思い返し、未来を見通しながら、思考を働かせ、
自分にとって、もっともよきことと思える「選択」を
重ね続けながら、日々を過ごしている。

・・・しかし、本当にそうだろうか?
その行動は、自分の意志で選択したものだと
思い込んでいるだけなのではないのか?

ぼくたちは、自分のすることについて、
例えば、日々の何気ない行動も
想いを込めた、決断による行動も
すべては自分が選択した結果だと思っている。

しかし、非二元論では、ぼくらの行動は、
ぼくたちが選択しているように思っているだけで
実際は、自分の選択ではないという。

ぼくたちは、ただ、起こっていることを
眺めているだけの存在なのか。

意識的に行動するとき
その意識は、どこにあるのだろう。

なんとなく
自分の脳のあたりに意識があって
ああでもないこうでもないと
いろいろ考えながら
次の行動をどうするか選択を重ね
身体全体に指示しているような気がする。

でも、その意識は
ほんとうに自分のものなのか。

意識を眺めてみると
どこからか、ふっと湧き出て
そのまま、どこかに消えていく。

もしも、この意識が
自分のものではないとしたら
ぼくたちは、ぼくたちの選択で
生きているのではないことになる。

なんらかの方法で
意識が自分のものであると証明できれば
自分の行動も自分で選択していると言えそうだ。

しかし、無意識的な行動は?
誰が行動の選択をしている?

血流や心拍、消化や呼吸、その他もろもろ。

単なる化学反応の結果で
ぼくらの新陳代謝は行われているのか。

いやいや、そうではないだろう。
トータルでコントロールする
無意識な意識がどこかにあるはずだ。

その無意識な意識はどこにある?
自分の中にあるのか?
それとも?


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