ウォーキングは瞑想だ

Photo by taka (ip11)

最近の日課は、午前中は自室で仕事をし、午後は仕事しながらも眠くなったらウォーキングに出かける、という流れになっている。平日とか土日とかの区別はない。日々、同じ繰り返しである。そして、ウォーキングも歩く距離が少しずつ長くなってきていて、今日は1時間半ぐらい歩いた。曇り空でそれほど暑くもなかったけれど、運動量のせいか結構汗をかいて気持ちよかった。万歩計を確認したら、8500歩歩いていた。

コースはいろいろだが、最近では河川敷の土手を歩くのが楽しい。風が気持ち良いのだ。とにかく、出来るだけ国道や民家から離れて、河川敷の堤防の上や田んぼの中を歩くようにしている。車の往来を気にせずに歩くというのは、想像以上にストレスフリーな状態になるのだ。車や人通りを気にしながら歩くのはせっかくのウォーキングの良さを半減させてしまう。

じりじりした暑さと夏草の匂いにつつまれて、ただ歩くことを選択すると、それは瞑想になる。自分と世界の境界線がなくなり(本当はもともとないんだろうけど)世界が自分の中に溶け込んでくる。それは同時に自分の中が世界に溶け込むことと同じである。

瞑想はずっと続くときもあるし、何かのきっかけでいつもの状態に戻ってくるときもある。昨日は、在ることの心地よさを感じた途端、その心地よさを同じ様に感じてくれる誰かがいないことに残念な気持ちになった。

ぼくが感じる「素晴らしい心地よさ」を、同じ様に素晴らしいと感じる人がいて、喜びをわかちあえたら、幸せだと思う。そして、その誰かは、いつかみつかるのだと思っていた。が、未だに見つからない。今では、世界中のどこにもいないのだと思い始めている。

草の香りがそんな自分の中にある根源的な苦悩を呼び起こしたり、そのまま匂いに溶け込んで、再び瞑想に入っていったり。ウォーキングは、身体の調整ばかりではない、心の調整もしてくれるようだ。


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