暑い夏の日に、この世とあの世を感じてみる

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Photo by taka (7D)

今日の朝は、意識が戻っても(目覚めたことね)、すぐに起きることをせず、「Opening The Heart」(ヘミシンク)でひきこもってみた。特にハートを開きたいと思ったわけじゃないんだけど、あの異次元な雰囲気に浸りたかったので。でも、途中で飽きて来たので、中断して、起きて、珈琲を一杯飲んだ後、カメラを抱えて、散歩に出かけた。

今日の埼玉も、すごい暑さなのである。現在の気温は、36度だそうだ。その中を2時間弱、歩きまわってみた。住宅地を通り抜け、広大な畑の間を抜け、草原を通り、神社でお参りし、田んぼの横を歩き、県道の歩道の照り返しを浴びて、ふらふら歩きまわりながら、何枚か写真を撮った。タオルが重たくなるぐらい汗が出た。自宅に戻ってシャワーを浴びた後、体重を測ったら、1キロ減っていた。

この辺りは農家が残っているせいか、散歩していると岩手の実家の辺りと変わらないなあと思う。少なくても景色的には。だから、あまり余計なことを考えずに歩いていると、昔に戻ったような気持ちでいることもある。今日は、父の葬式のことを思い出した。もう10年以上前のことである。

あれは秋の日のことだから、今日のような夏の暑い日ではなかったけれど、タイムスリップしたかのように、あのときの周りの様子を思い出した。実家の近所の風景や、葬式の手伝いに来てくれた近所の人たち、それから同級生などの顔。ああ、今日がお盆の入り口であることも関係しているのかな。

・・・こんなことを書き始めると、懐かしい昔話を始めそうな勢いだけど、懐かしい感じではない、今、帰省したら、そこには、同じ様子が続いているような気もする。

それは、明らかに、異様な日々だった。

どのように異様だったか、今、書き始めたのだけれど、なんとなく書いてはいけないような気がして、やめてしまった。遠回しに、と言うか何とか差し障りないように表現するならば「この世の者ではない者たちによる力を感じた1週間だった。」かな。

「憑依される」という言葉があるけれど、まさにそういう感じ。

そんなことを思い出していたら、今度は死んだ後のことを考えていた。ぼくらが死んだら、どうなるのだろう?本当に魂があって次の世界に行くのかな?等と。

このブログの前身であり、今でも細々と続けようとしている「地球を救え!プレミアム」では、スピをメインに扱っていたから、死後の世界の話も沢山書いたけど、心のどこかに、「ホントかな?」というような部分がなかったわけではない。今でも、それは同じ気持ちだ。

「ここには沢山の次元があって、ぼくらが認識出来ているのは、ほんの少しである」ということは、ぼくは100%真実であると思っている。ぼくらは、ぼくら人間が知覚出来る範囲でしか認識を重ねることが出来ないのだから、それは当然のことだ。しかし、ぼくらが死んだ後のことで100%言い切れることは、何もないように思う。死んだらそれで終わり、という可能性もあるのではないか、と思っている部分があるということだ。但し、いろんな現象を総合すると、確かにぼくらが認識している「死」という現象は、は「肉体の死」であり、魂は継続する、命は消えない、というのは間違いないような気はする。ぼくらは、(多分)永遠の存在なのだ。

・・・だらだら書いているうちに、さいたまの気温が38度と表示されている。暑いところにいるみなさんは、どうか熱中症には気を付けて。ぼくは急に眠くなって来た。このまま、昼寝をしてしまうかもしれない。


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