スピリチュアル・カンニング

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Photo by taka (ixy)

なぜか理由もわからないが、
ふと気が付くと、精神状態が、がくんと落ちていた。
今日の午前中のことである。

花粉にやられ気味の、体調のせいだろうか。
それとも、新たに始まる一週間への不安だろうか。

なにもかもが、どんより見えて
気力も失せて、ただただ悲しい気持ちにつつまれた。

生きてて、何になる?という声が
心の奥底から聞えてきた。

しばらく、気を紛らわせていたのだけど
身体も痛くなって来たので
お昼過ぎ、そのまま眠ってしまった。

以前、例えばもっともっと若い頃
このような気分に襲われることは
あっただろうか。

こんな気持ちになったことなんて
なかったのではないだろうか。

そう考えて
遠い過去まで記憶を手繰ってみたら

今、こうして書きながら
ひとつ思い出したことがある。

子どもの頃、夜、眠る前のワンシーン

記憶の中の映像では
自分の部屋に一人で寝ているから
多分、小学5年か6年ぐらいの頃で
小さい豆電球だけの灯りの中
今と同じような気分に包まれていた。

ぼくは、先天性の近眼なんだけど
その頃、どんどん視力が悪くなっていて
メガネのレンズは、交換する度に、厚くなっていた。

その頃の、少年だったぼくは
そのうち、ぼくの眼に合うメガネも作れなくなり
最終的には何も見えなくなるのかもしれない、
ということを、考えていた。

居心地のよい自分の部屋のはずが
どんよりとした空気が
とても重たくて
真っ暗ではない薄明かりが
中途半端に世界を映し出し、余計に怖かった。

急に思い出したワンシーンと
今の気持ちは、同じではないけれど
ある部分については、よく似ている気がする。

違うことと言えば
当時は、不安の理由がはっきりとしていたが
いまは、なんだかよくわからないけれど
不安に包まれている、ということである。

若いころは、今よりも、ずっとノーテンキだったから
理由がない限り(というか、気づくべきものに気づかず)
思い悩むことも、少なかったのかな。

そういう意味では、昔も今も、
基本的な部分は、変わってないのかもしれない。

それと、わからないなりに
とってつけたように書いてしまうなら
たぶん、今の不安の理由は、
ぼくが想像するに、自分の在り方についての不安だ。

さっき、本棚を眺めていて
並んでいる本たちを見ながら
結局、自分の在り方は、
本では知ることも学ぶことも出来ないのだ
というような気持ちになった。

江原さんも、OSHOも、ハトホルも、
ダスカロスも、神との対話の神も、
ブッタや、イエスでさえも。

なにかのヒントにはなるけれど
そのものズバリを教えてくれるわけではない。

そう思ったとき
ああ、おれは、自分の在り方を知りたくて
これらの本を読んでいたのだな、と思った。

思う前から、ホントは
わかっていたはずなのに
ぼくは、それらの本たちから
カンニングしようとしていたのだ。

なんと愚かな。
自分の在り方など、誰も知るわけがないのに。

自分の在り方は
自分で決めるしかない。

なぜなら、
ぼくたちがこの世に生まれてきたのは
自分の在り方を決めるためだから。

(多分)


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