過去に戻れるとしたら

磐井橋
Photo by taka (7D)

高校時代の3年間、ぼくは、岩手県の一関市で過ごした。親元を離れ、下宿生活をしていたのである。写真は、数えきれないぐらい渡った思い出の磐井橋。これは今年の夏に帰省したとき撮影したものだが、補修などはしていると思うけど、ぼくが住んでいた頃と、あまり変わっていないような気がする。

ぼくに青春時代があるとしたら、それは一関時代だったのだと思う。

大船渡で過ごした中学時代は、坊主頭の思い出しかなくて、青春というには少し早い気がするし、大学生になって上京した直後は、なんだか、ただただ、すさんだ日々しか思い出せない。それでも、上京して1年ぐらい経って、東京に慣れた頃は、それなりに楽しんでいたところもあるけれど、すでにある種の純粋さを失いはじめており、青春という言葉がうまく当てはまらないように思う。

ぼくは、過去を懐かしむことはあっても、過去に戻りたいなどと、思ったことがないまま生きて来た。いつも、いまが一番、と思いながら生きてきた。

だが、ここ数年、あの頃に戻れたらいいな、と思うこともある。

あの頃とは、どの頃かというと、そのときによって微妙に異なるけれど、いちばん多いのは、そんな青春時代という言葉が似合う高校時代のように思う。例えば、高校2年の春、新しい下宿に引っ越したばかりの頃がいいかな。(ぼくは最初の下宿を1年で追い出された。)

でも、あの頃に戻っても、何かしたいことがあるか、といえば、なんにもない。あの頃してたことを、同じようにしてみたい、というぐらい。あの頃の時空に身を置きたいというか。

過去に戻りたい、と思うようになったのは、歳のせいもあるのかもしれないけれど、東日本大震災の取り返しのつかない、決して後戻り出来ない経験をしてしまったから、のような気もする。

自然消滅のような曖昧なスピードで変化していくものなら、これは時代の流れと納得出来るのだろうが、大震災による変化は、とても仕方ないと思えるようなものではなかった。思い出深い町が、いくつも、明確に破壊されて、面影も残さず、なくなってしまったのだから。

時空連続体というものがあって、そこを自由に行き来出来れば、過去にも未来にも行けるものだと、信じていたころがある。もしも、本当に時空連続体があったら、あの頃のぼくも連続体の断面のどこかにいるはずだ。

ただ、今のぼくは時空連続体なんて、ないのかもしれない、とも思っている。非二元論の影響である。

だが、ほんとうに在るもの以外(今の現実も含めて)、すべて幻想だとしたら、幻想としての時空連続体が存在する可能性はあるのかも、と思ったり。

幻想なんだから、何でもありだもんね。


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