ほんとうにあるもの

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Photo by taka (7D)

非二元論について、今、ぼくがわかったつもりになってることを書くと、結局のところ、ほんとうにあるものと言えば、ただの「これ」しかない、ということだ。スピリチュアルで語られるような目に見えないことはもちろん、現実として目に見えているものすら、幻想のひとつ、または「これ」から照らされてスクリーンに映し出された映像のようなもの、ということらしい。

スピリチュアル的な気づきを得てから、10年以上になる。その間、ずいぶんと、霊性について、いろいろな本を読んだり、話を聴いたり、あるいは自分のからだを使って体験したりして来た。そこには、信じられるものも、信じがたいものもあった。(信じる信じないというよりも、直観で寄りそえるか、寄りそえないか、ということかもしれない。)

信じられる(寄りそえる)スピリチュアルには、ずいぶんと助けられてきた。今も助けられている。そして、それらは、ぼくのなかでは、現実にあるもの(目に見えたりこの手で触れるもののような)と同じよう存在するものだと思ってきた。それは、今でも、そうである。

ところが、非二元論を考えたとき、スピリチュアルの立ち位置が、とても曖昧になってしまう気がした。そして、その理由として、ぼくのなかでは、現実よりも、より現実的な世界として、スピリチュアルを考えていたのだ、ということに気づいた。

ぼくらは努力や苦労の話が好きだから、勉強したり修行したり苦しみを乗り越えたりすることで、経験値がアップし、スピリチュアルの世界を通って、ついには悟りに通じる、みたいな流れを想像してしまうのだが、結局のところ、それはそもそも幻想の世界のなかでの幻想のようなもので、悟りに通じる道なんてないし、苦労した人が、より報われる、ということもないようだ。

なぜなら、あるのは「これ」しかないし、ぼくらはすでに「これ」であり、「これ」以外にはなることも不可能なのだから。
ぼくらは、どんな人でも、いま、この瞬間に悟りの境地に達する可能性があるのだ。

とはいえ、悟りを得ていないぼくには、そこのところは、ぜんぜんわからない。そうかもしれないなあ、とは思うけれど、得たものとして体験出来ているわけでもない。


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