ねこねこホリデー

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Photo by taka (7D)

休日、思い切り脱力した状態でリビングの床に転がっていると、猫がやって来て、寄り添うように並んで転がる。ふわふわの毛並みと柔らかくしなやかな身体の感触が心地好い。そんなとき、ぼくは無条件に幸せを感じてうれしくてたまらなくなる。猫と暮らしている人なら、誰もが経験していることかもしれない。

前に、「なるようになるさ」ブログに書いたかもしれないけれど、ぼくは死ぬときは、なるべく人のいないところで、静かに死にたいと思っている。だから、沢山の人に見守られて死にたい、というような話を聞くと、それだけは勘弁して!って気持ちになる。

でも、猫や犬や鳥や、花や木など、動物たち植物たちに見守られて死ぬのはいいかも!とも思ったりする。人と人でないものの違いは、何かわからないけれど、正反対なイメージになってしまうのが、自分でも面白い。

でも、うちの猫よりは先には死にたくない。というか、絶対に先には死なない。ちゃんと最期までお世話する。それはぼくの大切な役割だと考えているから。

これも、今まで、あちこちで書いたけれど、人間には、地球を守る役割があるのだと思っている。

ぼくは、ぼくと一緒にいてくれる猫やベランダにいる植物たちを守ることぐらいしか出来ていないから、偉そうなことは言えないけれど、全人類に課せられたもっとも大切な役割は、地球を健全な形で守っていくことだと考えている。

地球を守っていくことは、経済活動なんかよりもずっとずっと大切なことである。そうしなければ、地球上の命が失われ、最後には人間も1人残らずいなくなってしまうだろう。

そんなことは少し考えればわかることだが、今、世界の人類の大部分は、経済活動を優先し、自分たちのプライドを優先し、我が物顔で強さを誇示し合い、地球を守るどころかあらゆる資源を搾取し、100万年先まで害が出る毒物を排出し、生き物たちを傷付け殺戮し、それどころか人間同士で殺し合ったりしている。そして、自分たちの行動の正当性さえ主張出来れば、後はどうなっても構わないという態度だ。

このままであれば、人類が滅ぶまでの時間はそう長くないだろう。

人類が生き延びていくために必要なことは、経済活動ではない。もちろん地位や名誉や学歴なんかでもない。そして、善悪の概念でもない。地位も名誉も学歴も善悪でさえも、人間のエゴの延長でしかないのだから。本当に必要なのは想像力である。想像力のない人間にリスクが絡んだ役割を与えるべきではない。その人間が、例え一流大学卒業の人だとしても。

そんなことを毎日毎日ぼんやりと考えているせいか、人間が苦手になってきた。最近では自分が人間をやっていることについてもどうなのかと思うようになって来た。ぼくも人類のひとりとして、地球を破壊し続けている側にいることに変わりがないのだから。

さて、なんだか妙に辛い時期が続いていたような気がするが、なんとなく、それももうすぐ終わるような気がしている。根拠はまったくないのだけれど。

それに、気持ちはこのように低空飛行のような感じだが、実際にぼくに起こっていることには、常に完璧である、ということもわかっている。

起きるべきことは起こり、起こってはならないことは起こらず、間に合うものはどんなに忙しくても間に合い、間に合わなくてもよいものは間に合わない。揃うべきものは揃い、そうでないものは決して揃わない。そんな状態をちゃんと感じとり、そっくりそのまま受け入れることが出来るようになれば、今よりももっと軽やかに前に進めるのだろうと思う。


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