パーソナルスペースと気の関係
投稿:2014年4月24日
更新:2016年9月8日
Photo by taka (7D)
オーラが見えるようになってから、気も感じるようになった。そこから、ぼくのスピリチュアルな実践も始まったのであるけれど、同時に、実生活にも影響が出始めた。
気を感じるようになって、もっとも実生活で変化を感じたのは、パーソナルスペースのことだと思う。
パーソナルスペースとは、他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリアとも言うらしい。パーソナルスペースは、個人差があるため、公共の場や仕事場等では問題になりやすい。気になる人はすぐに気になるし、気にならない人はまったく気にならない。気にならない人は、気になる人の気持ちが理解出来ないし、気になる人は、気にならない人が無神経に思えて仕方がなくなると思う。
例えば、同じ部屋に、パーソナルスペースが1メートルのAさんと、2メートルのBさんがいたとしたら、Bさんの方がAさんに対して不快に感じる回数がダントツに多い。
Bさんは、Aさんに近付くとしても、あえて自分が不快に感じる2メートル以内に近付くことはしないので、Aさんにしてみれば、パーソナルスペース的な観点から言えば、Bさんを不快に思うことはない。
ところがAさんは、Bさんに近付くとき、自分が不快に感じない1メートルまでは近付いてしまう。このとき、BさんはAさんに対して、不快に感じている可能性が高い。
Aさんは何も悪いことはしていないんだけど、Bさんにとってみれば、苦痛な存在になってしまう可能性があるのだ。
気を感じるようになってから、このパーソナルスペースがとても長くなったような気がする。混んだ電車などでは、パーソナルスペースなどと言ってられないのだけれど、ときとして体調を崩してしまうほど、ダメージをうけるときがある。まわりの人の気が、我慢出来ないほど拒否反応を招いてしまうのだ。
これを予防するには、自分の身体をバリヤーの役目をするフィールドで包んだりする技があるのだけれど、最近のぼくは、フィールドを張るのも、だんだん面倒になって来て、しなくなってしまった。フィールドを張っても、日によってはすぐに壊れたり破れたりして、役に立たなかったりするし。(単に修行不足なんだけどね。)
フィールドも頼れないとなると、もう3次元的に避けるしかなくて、結局、出来るだけ混んだ電車に乗るのを避けることで、日々の通勤を乗り越えるようになった。
それから、男子トイレでする際に、隣に並ばれると、パーソナルスペースに侵入された状態になって、なかなか出て来ない、ということもある。我慢しているときなどは、構わず出てくるのだが、それほど尿意はないが、長くなりそうな会議の前に用を足しておこう、などと考えているときは、困るのである。馬鹿らしい、と思う方が多いと思うけれど、結構、不便なのである。
このように他人と物理的に近付く可能性がある状態は、なんだか、とてもデリケートな感じになってしまった。
ところで、パーソナルスペースは、他人に近付かれると不快に感じる空間というものの他に、もうひとつ意味を持っている。それは、自分の好きな人が入るとうれしい空間、というものである。
他人は入れたくないけれど、好きな人は入れたい空間。それから、好きかどうかはともかく、入って来ても不快に感じない人もいる。
パーソナルスペースが他の人と重なるような状態が起きたとき、気の相性とか波動の共鳴のような現象が起きて、心地好さになったり、不快になったりするのかもしれない。
スピリチュアル的な観点で、「すべてはひとつ」ということを考えると、パーソナルスペースなど、なくなってしまいそうなものだが、ぼくは今、その逆な状態になっている。これがどういうことなのか、ぼくにはまだわからない。
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