星の記憶、遥かなる

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Photo by taka (31MR)

昨日の続きのような写真を掲載してみる。実際に、時系列的にも続きだ。昨日掲載した東京タワーのイルミネーションの後、有楽町まで歩いたとき、日比谷通りで見つけて撮影したものだ。青系のイルミネーションも綺麗である。

さっき、瞑想したときにLlewellynの曲(アルバム Aromatherapy)をかけていて、今もそのまま流れているのだが、この青色系イルミネーションにぴったり合っていると思いながら、書いている。今流れているのは「From Seeds of Love」という曲だ。(興味のある方はiTunesで試聴出来る。別に宣伝してるわけではないけれど、お勧めである。)

Llewellynの「Aromatherapy」や「Reiki Healing Journey」は過去世か未来世かわからないけれど、ぼくのいつかどこかの魂が、宇宙を旅していた頃の記憶を呼び起こしてくれる感覚がある。巨大な宇宙船の中の薄暗い照明の広いラウンジのようなデッキから、宇宙の星々を眺めている感じ。ちょっとさみしくなるような、例えば、故郷を思う切なさのような感覚が、そこにはある。そしてそのときに浮かぶイメージが色的に今日の写真の感じだ。このような感覚は、例えば「Twilight」(アルバム Reiki Healing Journey)を聴いているときに最大になる。

以前、ぼくの来世(だったか過去世だったか)について、銀河系を取りまとめる艦隊の総司令官である、みたいなことを言ってくれた人がいる。それはあまりにも光栄過ぎて、信じるのも難しいのだけれど、確かに、恒星間を行き来する旅をしていたことはある(あった)と思う。それは旅人としてかもしれないし、本当に艦隊の任務でかもしれないし。

夜、仕事から帰る途中、満天の星空の下、空を見上げながら自転車をこいでいると、ふと、UFOが現れて、誰かが迎えに来るような気持ちになるときがある。それはアセンションの際によく言われた空中携挙とは別で、本当に故郷の星の仲間が迎え(またはお見舞い)に来る感覚だ。

地球はよいところだし長生きしたいなあと思っているけれど、心の中では、早く帰りたい、という気持ちもあるのだなあ、と思う。でも、遥かなる星の記憶が単なる妄想だとしたら、ぼくは、いったい、どこに帰るというのだろう?と思ったりもする。

ぼくは、ぼくの家族や友人たち、恋した人たちなど、今も今までも心を通わせた人たちと、ずっと一緒にいたいなあと思う。でも、遥かなる記憶に従い、遠い遠い自分の星に帰ったとき、それらの人たちとはお別れになってしまうとしたら、とてもさみしい。でも、いやいや、それは、3次元で考えているからであり、物理的に同じ場所にいなくても、つながっているものなのだ、と思い直したりする。

それでも、いつも星を見上げるのは、たいてい、1人でいる。だから、もしかすると、やっぱりぼくは、1人で帰るのかもしれないなあ、と思ったりもする。

どうなんだろ。


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