瞑想しよう

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Photo by taka (31MR)

(スピ10年という意味では)今更のようだが、最近、瞑想について、気になっているのである。極論だが、今の人類を救えるのは、瞑想という方法しかないのでは、と思うぐらい、気になっているのである。(それだけ、今、ぼくらが出来る行動については、無力で不毛であるという気持ちもある。)

以前は我流だが毎日のように瞑想していた。ちょうど「地球を救え!プレミアム」を始めたばかりの頃で、一旦、スピリチュアルが落ち着いて、宇宙とかアセンション、或いは陰謀論のようなものに興味が広がっていた頃である。

しかし、あの頃の瞑想は、なにかビジョンを観たいという下心が先に立っていた。そして、実際に、ビジョンも観えたけれど、だからと言って、それが何かはよくわからなかったし、観えたからと言っても、何か、ぼくの中が変わるわけでもなかった。

そして、そのうち、瞑想する、という行為に魅力を感じなくなり、たまにするときがあっても、ヘミシンクを併用してしまって、純粋な瞑想というものはやらなくなってしまったのだ。

それが、どうも今年の夏あたりから、瞑想が気になりだしたのである。何の影響だろう。覚えているのは、ダスカロスのプラクティスをやろう、と思い立ったことだけど、思い立った理由が何かあるはずだ。だが、それは思い出せない。

ダスカロスのプラクティスもいいが、今は、とにかく純粋な瞑想をしたいと思っている。以前のような下心は抜きで、ひたむきな気持ちでやりたい。

で、実際、最近、頻繁に瞑想モードに入っている。そして、気付いたのは、純粋な気持ちになればなるほど、ビジョンが観えやすくなるということである。ビジョンをみてしまうと、下心で瞑想していたことを思い出したり、下心が舞い戻って来たりであまりよくないのだが、これはこれで、ひとつの修行のようなものなのだろうと思って、横目でみながら、ふふんと知らないふりをしている(笑)

今は、何か少しでも気が散ることがあると、瞑想は中断してしまうのだけれど、もっと、どしっとした心持で瞑想出来るようになったら、気の合う、心許せる人と並んで瞑想するのもいいなあと思ってる。まあ、そんなことに付き合ってくれる人も、なかなかいないと思うけれど。


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