ぼくと父は、いまでもつながっている

photo by taka (ip11)

今日は、父の命日だ。亡くなってから20年ぐらい経つけど、当時のことを思い出すとやはり悲しい。というか年々、悲しさに深みが増しているように感じる。ぼく自身が父の亡くなった年齢に近づいたということもあるかもしれない。

父の命日や誕生日には、必ず何か不思議なことがひとつかふたつ起こる。

今朝は、副業で始めたサイトでひとつ商品が売れていた。滅多に売れないし、売れたタイミングが丑三つ時だったので、不思議なこととして数えてもいいと思う。それから、久しぶりの方から画像つきのメールを頂いたり、ウォーキングしている時に、急に気づきがあったり、父の命日らしい面白い一日だった。

死んでしまうと、この世から消えてしまう、という事実は、誰にも否定出来ない絶対的な事実だ。これと似てる事実に、生まれた途端にこの世の存在になる、というものもある。当たり前のことを書いているようだけど、宇宙で絶対的なことがあるとすれば、このふたつしかないと思う。

生きて、死ぬ。
これは、一体どういうことなのだろう。

昔、スピリチュアルにハマっていた頃、わかったような気になって、ブログにいろいろ書いていた。その中のひとつに「この世はテーマパーク、生まれてから死ぬまでの間、思い切り楽しみましょう。」なんてのがあった。

入場と同時に、この世のものになり、退場とともにこの世から消える。なかなかいい例えではないか、と今でも思う。そして、このテーマパークは、宇宙にひとつだけあって、みんながそこに出入りしているイメージでいたけど、今は、ひとりひとりにテーマパークがあるのだ、というイメージで考えてる。なので人間を含めたこの世に生きる命の数だけ、テーマパークが存在することになる。

そして各々のテーマパークは関連して存在している。ぼくのテーマパークとあなたのテーマパークは、よく似ている部分も沢山あるし、どこかでつながって連動しているけれど、テーマパーク自体は個々に存在する感じ。

例えばシンデレラ城の高さは、ぼくのテーマパークでは3階建てで空色だけど、あなたのテーマパークでは10階建てで桃色、みたいな。

そしてもっと突っ込んで言えば、自分という存在はテーマパークに住むひとりの人間、というわけではなくて、テーマパークそのものなんじゃないかな、という風にイメージしてる。

あくまでもイメージであり、そうだと信じているわけでもない。誰も証明出来ないことだし。

そして死を迎えて、テーマパークから退場すると、多分テーマパークそのものは消滅するのではないか。但し、消滅する前にテーマパークのすべての記憶がアーカイブされてどこかに保存される。

ここまではなんかそれっぽくイメージ出来るけど、退場した後の魂の様子がぼくにはイメージ出来ない。転生して新しいテーマパークを手に入れる、そして新しい生死が始まる、だとしても転生前の部分が想像もつかない。ここが、神の領域、ということなのだろうか。

父は今、どこにいるのだろう。ただ、ひとつ思えることは、こうして不思議なことが起こり続けている限り、ぼくと父は、どこかでつながっている、ということである。


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