原爆の日に

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トム・エバハートさんの作品「DOG BREATH」

1945年8月6日の朝、広島に原子爆弾が投下された。原子爆弾は、上空600mで爆発し、そこから発せられた2000度の熱線が、市街地を容赦なく襲い、一瞬で多くの人が亡くなってしまう。なんとか即死を免れた人も高濃度の放射能汚染による影響を受けるなどして、年末までに14万人の方が亡くなったという。直後の8月9日にも、長崎で同じ悲劇が起きてしまい、再び、何万人もの命が失われる。

アメリカが原爆を使用した理由は、公式なもの、非公式なもの、いろいろ発表されたり噂されたりしているので、あえてここでは書かない。そして、書いたところで、あまり意味を持たないだろうと思う。ぼくの見解では、どんな理由があろうとも、どれだけ沢山の正義を並べたとしても、この原子爆弾による殺りく行為は、許されるものではないという考えだ。アメリカのとった行為は、現人類史上、もっとも大規模な無差別殺人のひとつである。そんな認識でいるぼくとしては、普段、口にすることはないにしろ、アメリカという国は、そういうことを平気でする酷い残酷な国であり、このことだけは絶対に許せない、というような気持ちが心の中にある。それは恨みとかではない。冷静に、そう思っている。

そして、そんなぼくが、今朝、起きて、ああ、今日は8月6日、原子爆弾が広島に落とされた日だなあ、と思ったときも、ここまで述べて来たような気持ちが頭の中をぐるぐるして、とてもやるせなかったのである。68年前の今ぐらいの時間、アメリカの選択により、日本の広島という都市で、死の危険をも自覚する間もなく、遺体さえも残らないような状態で、命を奪われた人たちが何万人もいる、という事実を、噛み締めなければならないと思ったのだ。ぼくは、午前中の仕事を休みにしてでも、このことをじっくりと考えなければならないと思った。

椅子に座り、気持ちを静かに落ちつけて、亡くなられた方々のことを思っていたら、やるせなくて泣けて来た。戦争中とは言え、その日の広島にも、沢山の人々の営みがあったのである。それを一瞬で奪われたのだから。数え切れないほどの人の悲鳴が聞こえてくるようだった。

だが、そこまで考えた後、ふと、違う想いが出て来た。確かに、原子爆弾を落としたのはアメリカ人だけれど、それをしたのは、ぼくと同じ人間ではないか、という想いだ。アメリカ人も日本人も、ぼくもあなたも、みんな人間である。そして、この出来事を客観的に事実として述べるならば、「原子爆弾を落としたのは人間である。」ということだ。

アメリカ人という生物がいるわけではない。
原子爆弾を作り、目的地まで運び、爆発させたのは、人間である。

そこまで想いが辿り着くと、ひとつの結論が出た。
「人間は、一瞬で何十万人もの殺りくを行ってしまう存在である。」

たまたま、アメリカの国籍を持った人間が、原子爆弾を使ったわけだけど、アメリカ人に限らず、日本人だって、中国人だって、韓国人だって、同じ人間なのだから、同じことを行う可能性を持っている、と言えるのではないか。

ぼくらは、アメリカ人である前に、人間である。

ぼくらは、日本人である前に、人間である。
ぼくらは、中国人である前に、人間である。
ぼくらは、韓国人である前に、人間である。

地球上で、どこかの誰かが起こす「良いこと」や「悪いこと」は、起こした誰か以外の人間も起こす可能性があるのだ。なぜなら、同じ人間だから。どこの国に住んでいても、どんな立場でいても、同じ人間だから。

ぼくら人間は、自分の命を捨ててでも、他の命を守ったり出来るけれど、反面、大量殺人もしちゃう。誰もが、そういう存在なのだという事実。なんて悲しく切ない事実。けれど、これが、人間としての性質というか性能というか。このことをみんなが冷静に意識すれば(究極は、人のせいにしないってことになるのかな)、例えば、国家間の不毛な争いのようなものはなくなるのではないか。

このことを意識出来ないでいるから、国家による緩やかな洗脳行為に冒されて、他国との線引きを意識するように仕向けられ、愛国心という名のもとで分離感を植え付けられ、国益とか領土とか、誰かが得をすれば誰かが損をする不毛な争いに参加させられる。こんな風に。

ぼくらはこんなことしない。
悪いのはあいつらだ!
反省させなくてはならない。

でも、ぼくらもあいつらも同じ人間であり、同じことをする可能性があると認識出来れば、

あいつらがしたのだから
ぼくらもするかもしれない。
お互い気を付けるようにしよう。

となるのではないか。

なんか、まとまり悪いのはいつものことだけど、今日、書きたかったのは「自分以外の人間がしたことはすべて自分だってしてしまう可能性がある」と言えるのではないのか、というところを自覚するところから、問題の解決をしていけばいいのでは?ということだった。うーん、まわりくどい(笑)

そして、もっと拡げて書いてしまうならば、国家間に限らず、日々、正反対の意見を持つもの同士だって、同じことが言えそうだ。例えば、原発の再稼働について、推進派と、反対派がいて、日々、様々な形で議論したり、言い争ったりしている。冷静に話されている部分もあれば、感情的になってぐだぐだになっている部分もあるかもしれない。利害に溺れて何も考えられなくなっている人や、妙な工作員とやらが、合理性を失った状態で、かき回している部分もあるかもしれない。そして、そのすべての人たちが、もともと人間なのである。人間同士なんだから、まずは仲良しになって、お互いを認め合いながら、話を進めていけばいいではないか。なぜ、ぼくらは、すぐに敵を作ってしまうのだ。まるで、敵を作ることが、ぼくらの仕事のようだ。みんな、仲良くやろうよ!そう思った。

・・・なんてことを考えていたら、今日の画像で掲載した絵を思い出して、ツイッターで宣言したくなった。あまりにもベタな話かもしれないけれど、人種も国境もなく、みんなで仲良くしようよ、もちろん、人間だけでなく、すべての存在がみんなで手をつないでいけたら、何も怖いものなんかないじゃん!って思ったから。

「人間も、犬も、ねこも、何もかも、みんなみんな、手をつなぎ、笑顔で、安心して暮らせる星になりますように。 」

七夕みたいだけど。


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