孤独の種類

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Photo by taka (31MR)

孤独には、少なくても2種類あるのだと思う。
そのことを、ぼくは今日の通勤帰りの地下鉄の中で考えていた。

孤独のひとつめ。

例えば、自分の周りに誰もいないとき、見渡す限り人がいなくて、もしかすると動物もいない、そんな状態が、ある程度続いたら、それは「孤独である」ということになるだろう。(もっとも度合いによって、孤独と感じる人もいれば、感じない人もいるとは思うけれど、ここでは感じたことにしよう。)

そして、もうひとつの孤独。

こちらの孤独は、周りにはうじゃうじゃ人がいるのだけれど、それらの人たちと比べると、自分だけ異質なものであるように思えたとき、これもまた「孤独である」ということになるだろう。例えば、常連たちが集うお店に紛れ込んでしまったとき、居場所のなさと居心地の悪さで、すぐにでもその場から立ち去りたくなるかもしれない。

どちらの孤独も、自分の中で「孤独」の気持ちを創りだしていることには変わらないのだが、後者の孤独の方が、やっかいな感じはする。前者の孤独は、孤独の1秒後に、誰かが現れて、孤独の状態が解消出来る可能性があるが、後者の孤独は、何らかのきっかけをつかんでそこから脱出しない限り、孤独は続いたままだからだ。

最近のぼくが孤独だなあと思うのは、後者の方。

ぼくの周りには沢山の人がいるのだけれど、人が多くなればなるほど、孤独感は強まっていく。通勤途中の電車の中でも、仕事場で一緒に働いている人たちも、お店で買い物をしている他の人たちも、誰もが、ぼくとは異質の存在である、と感じてしまっている。

このような状態は、全然、スピリチュアルでないことはわかっているのだけれど、今のぼくは「すべてはひとつ」という感覚から結構離れたところにいる。異質な存在とは分離したままがよいと思っている。
だから「すべてはひとつ」なんて冗談じゃない、と思っているぼくがいる。

けれど、このような経験は、多分、必要なのだろう。
そのような経験をすることが、最初から、決まっていたのだと思う。

この後、どうなるかわからないけれど、ぼくは、今、ぼくの感じていることを、ありのまま、受け取ろうと思っている。


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