311から10年

photo by taka (7D)

14時46分で止まった時計
震災の後、数年後、確か、これは大船渡で撮った写真。

そして、あれから10年。

10年も経てば
記憶も悲しみも薄れていきそうなもんだけど
311に関してだけは、毎年、
その思いは増幅されている感じがある。

未だに、津波が押し寄せる映像をみると
どばっと感情が押し寄せてきて
誰もいなかったら、泣いてしまいそうになる。

震災で思い知らされた、日常の儚さのようなものは
震災が終わっても、あちこちに起きているものだから
そういうのが心の中に降り積もるようになっているのかも。

今、こうして生きていても
いつかは、みんな、死んでしまう。
人も動物も植物もみんないなくなる。

なんて儚いのだ。

事件や事故で亡くなる人たちも
感染症で亡くなる人たちも
この世の感覚では、まだ人生半ばにしかみえない人たちが
亡くなっていく。

動物たちも、半ば、人間の都合で
どんどん殺されていく。

どういうことなんだろう、と考えても
ぼくには、わからない。

午前中、朝の仕事を終えて、
ちょっとツイッターをのぞいたら
明治神宮で震災の慰霊鎮魂奉納演奏が
行われるツイートをみつけた。

時間もちょうどよかったので
静かに鑑賞していたら
何かがこみあげてきて止まらなくなった。

そのうち、家に誰もいなかったこともあり
嗚咽をあげて泣いてしまった。
そばにいた猫がびっくりして顔をみあげていた。

311で失われた沢山の命(人も動物も)は
さらに沢山の人たちの大切な存在だった。

失った大切な存在を思いながら
みんな、必死に生きている。

亡くなられた方も無念だったよね。
ほとんど抵抗も出来ずに、その生命を終わらせた。

それは、もしかすると
自分だったかもしれない、と思うと
とても混乱する。

考えれば考えるほどに、
人生ってなんだろう、と思ってしまう。

嗚咽をあげて泣いたなんて
父親が死んだとき以来じゃないだろうか。

ここのところずっと
新しく始めた仕事がうまくいかず
精神的に苦しい日が続いていて
泣きたくなる気持ちを堪えながら
生活していたから
ますます、感情を止められなかったのかもしれない。

ああ、そういえば
うまくいかない原因を探るため
過去を振り返っては、
なんて、自分は、思い上がってたのだ、と反省して
自分を責めたりもしていたので
そんな部分も悲鳴をあげていたのかも。

自分で自分を責めている。
これは、ダメージ大きい。

そんなわけで、10年めの311は
もう、ふらふらの状態で迎えたのでした。

ぼくは、再び、蘇ることが出来るだろうか。

そんな弱気な心も、打ち消すことなく、守りながら
なんとか、明日につなげていこう。

観た動画はこれです。
東日本大震災十年祭慰霊鎮魂奉納演奏奏上
https://youtu.be/RQTRH_3ZY0k


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