坐禅と神さまと仏さま、そしてお稲荷さんたち
投稿:2014年3月30日
更新:2016年9月8日
Photo by taka (31MR)
昨日は、ちょっとスピリチュアルな2つのイベントで一日を過ごした。
ひとつめは、根津神社(乙女稲荷神社)へのお参り、そしてもうひとつは、田口ランディさんと村上光照さんの対談「坐禅と神さまと仏さま」というイベントである。
季節は春、しかも、都内の桜が咲き始めた頃であるから、せっかくの休日でもあるし、時間的にも余裕があったので、ぶらぶらする時間もあるだろう、ということで、カメラを持参して出掛けた。メインとして、一眼のCANON 7D(10mm-22mm)、それからサブとしてOLYMPUSの31MRを持参。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれないけれど、最近、ここのブログでは、31MRで撮影した画像を掲載していない。実は、31MRの調子が悪い。外出の際、リュックに無造作に放り込むようにして常備していたせいか、レンズの付け根部分(多分)が歪んでしまったようで、ズームレンズを広角側に合わせると、画像の上部にはっきりとわかる黒い影が入ってしまう。それから、電源を切ると、レンズが完全に本体に収納される仕様なのだが、収納し切れず、途中で止まってしまうときもあった。だからしばらく持ち歩いてなかったのである。しかし、言い換えれば、問題はそれだけで、写らないことはないし、7Dの広角レンズだけの撮影は、ぼくにはしんどいので、昨日は持参していったのである。
掲載した画像は、31MRで撮影した根津神社の桜である。まだ、満開ではないけれど、ところどころで完全に開いた桜を見つけた。まったく可憐なことである。そして故障中の31MRであるが、望遠で撮る分にはこのように撮影出来る。
そしてもう1枚
Photo by taka (31MR)
根津神社に行ったのはわけがある。
去年の暮れ近く、根津神社に立ち寄ったことがあった。あれは確か、岩合さんのトークショウの帰りだったと思う。そのとき、神社内の様子を気の向くまま撮影させて頂いたのだけれど、そのときのぼくは、なんということか、拝みもせずに帰って来てしまった。それがとても気になっていたのである。
年が明けたら改めてお参りに行くつもりでいたのだが、結局、それが昨日になってしまった、ということだ。今回は、しっかりとご挨拶して参りましたぞ。
この不思議な鳥居をくぐると
Photo by taka (7D)
鳥居の先には、乙女稲荷神社の社殿が鎮座していらっしゃる。
祀られている神さまは、倉稲魂命、五穀豊穣の神らしい。
今日はしっかりと拝んで来た。もちろん何かのお願いをしたわけではなく、日々の感謝とこの地の安定の想いを伝えて来たのである。
Photo by taka (7D)
ピンボケ写真になってしまった。少し緊張していたのかもしれない。
この社殿の先には、再び鳥居がずらーっと並んでおり、なかなか壮観荘厳不思議である。
このような鳥居を千本鳥居と言うらしい。この鳥居たちが結界となって、お稲荷さんは祀られていらっしゃるのだろう。
ちなみに乙女という名があるのは、祠の奥に深い穴があいているからとの言い伝えが。
今の時代だと、穴から乙女を連想したら、ほぼ間違いなく「下ネタ禁止!」とか言われそうだけど、性を貶めるような政策が行われる以前の時代の、性に対するごく自然な信仰が行われていた時代から存在するものである、ということが言えそうだ。
それからお稲荷さんがキツネだからと格下に考えてしまう方もいらっしゃるかもしれないけれど、ぼくの解釈では、大昔からいらっしゃる自然霊のエネルギーであり、神さまよりもぼくら世間一般に近いところで、見護ってくれているので、感謝の気持ちで接するのがよいと思う。
そしてこちらの写真が、根津神社の本殿の様子。
Photo by taka (7D)
今から1900年ほど前に、日本武尊が建てたと伝えられ、須佐之男命・大山咋命・誉田別命が祀られているらしい。その当時にタイムスリップして見学して来たいものだ。
根津神社は、今まで何度もお参りしたけれど、いつも、なぜか道中の途中にひょっこり現れて立ち寄ることが多かった。根津神社を目的の地として行ったのは今回が初めてである。いつもついでのように寄り道していたが、それはそれで何かの縁が呼んでいたのであろう。また梅雨時にでも行ってみようかなと思っている。(雨の季節にしっとりとした感触に包まれながら)
根津神社の神事の後、次のイベントのため、お茶の水に移動する。時間があれば徒歩でも良かったのだが、歩くには少し時間が足りなかったのと、花粉も飛んでいるので、新お茶の水まで地下鉄を利用した。そして岩合さんのトークショウの際にも使った交差点を渡る。
Photo by taka (7D)
根津神社もそうだが、この交差点もぼくはよくよく縁がある。大学のときは毎日のように使っていたし、去年、丸の内勤務のときは、仕事帰りのウォーキングで通ることがあった。その他、何かのイベントや買い物の度に通りかかる。不思議なものだ。
そして次のイベントは、「坐禅と神さまと仏さま」。
開場の時間よりも、少し早く着いたので、近くにあった神社でお参りし、ベンチで休ませて頂く。この神社は「太田姫稲荷神社」。ここもお稲荷さんである。
なにやら、太田道灌の娘が天然痘になってしまったとき、京都の一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したことを感謝して祀ったらしい。(Wikipedia 太田姫稲荷神社)
その場では気付かなかったが、写真をみると、オーブというかエネルギーというか、もしかすると単なる光の乱反射かもしれないけれど、すごいのである。
Photo by taka (31MR)
ちなみに体感的には、とてもほんわりとした感じで、それは春の陽気のせいだったかもしれないけれど、居心地の良い感じがする空間だった。
さて、いよいよ、田口ランディさんと村上光照さんの対談「坐禅と神さまと仏さま」というイベントである。会場は、座布団に座って聴くスタイル。開場とほぼ同時に入場したぼくは、岩合さんのトークショウの時と同様、一番前の少しだけ端寄りに座ってみた。
ランディさんは、つい最近の311のイベントのときもお会いしているので(イベントに参加しているだけなので、「お会いした」という表現が適切かどうかわからないけれど)、なんだかとても親しみを感じるのであった。ぼくからの一方的な話ではあるけれど(笑)
さて、村上光照さんである。
村上光照さんは、禅師である。禅師と書くと、なんだか遠い世界の人のような感じがするかもしれないけれど、まるで赤ちゃんの微笑みのような、純朴な笑顔をされる方である。笑顔を拝見しただけでも、ずっと心に残るようなお方である。
話は、論理的に順序立てて説明される、というよりは、思い付いたことをよしとして、その場にいるみんなに話掛けるように、お話を進める感じである。だから、話についていけなくて、何について話しているのか、わからないようなときでも、何かわからないが、何かを授かったような心持ちになれる不思議な感覚である。なんだかとても素晴らしい時間であった。また、ランディさんの絶妙なイベントの進行もなかなか素敵であった。
対談が終わり、サイン会も開かれた。
「座禅ガール」は購入済であるので「仏教のコスモロジーを探して」の方を購入して、サインをして頂いたのである。
サインをして頂きながら「座禅ガール、とても面白かったです。」と話しかけると、ランディさんは素敵な笑顔で「こちらも面白いですよ!」と応えてくださった。嬉しい瞬間である。
そして、なんと村上禅師にもサインして頂いた。禅師からは、お言葉付きである。ぼくは、「アサマサママントラ 無等々呪」と「不二の高嶺に独坐」というお言葉を頂いた。これは感無量である。といいながら、その場で言葉の意味がわからず、自宅に戻ってから、調べてみたら、なんと、般若心経ではないか。以前、すべて読んだことがある気になっていたけれど、すっかり忘れていた。いやー、しかし、ありがたやありがたやである。
去年の秋、ふとしたきっかけでOSHOを読み始め、親しき魂からの勧めで老子に触れ、思い出すように書棚から取り出して道元を読み返し、とうとう村上禅師まで辿り着いた。そして、思えば、ぼくの家は、代々、曹洞宗である。
禅の世界は、以前から、そうかもしれないな、と思いつつ、あまりに近くにあるような気がして(それは例えば、近所にあるのになかなか行かない観光地のような感覚)放っておいたような感じがある。しかし、やはり、ぼくは、禅なのか、というような、気持ちにもなっている。
最近のぼくは、ブログでも書いているけれど、精神的には不安定だ。自分でも危なっかしいなあと思うような部分もある。これを安定させるのは、禅がいいかもしれない。
というか、禅を体現するために、あえて不安定な状態に放り込まれたような気もする。しかも、この禅というモノは、今までのスピリチュアルな知識と矛盾せずに心の中に収めることが出来るような気がする。もっとも、本当に禅をするなら、そのような知識は消去してしまわないといけないのかもしれないが。或いは、知識の向こうにまでジャンプするために、このような流れになっているのか。
ところで、不思議なことがあった。
冒頭に書いた31MRの故障の話だけれど、なんと直ってしまった。
昨日の朝は、黒い影が間違いなく入っていたが、今はどこにも影は入らない。綺麗なもんである。しかも、ズームもスムーズで、電源を切ると、ささっとレンズが収納される。
完璧に直っている。
これはお稲荷さんのおかげなのか?
それとも村上禅師のおかげか?
いやいや、実はランディさんのおかげなのか?
それとも、単に歪みが偶然的に矯正されたか?
まさか、ぼくのエネルギーが乗り移ったか?
わからない。
わからないけれど、良かった。
また、症状が始まるかもしれないけれど
とりあえず、オッケーだ。
今週は、桜が満開になるタイミングがある。
だから、常に、カメラを持参していたい。
そんなときに、やはり31MRが手元にあると助かる。
なかなか生き難いと思っているけれど
反面、すべての段取りが、ちゃんとなされている感覚もある。
不思議なものだ。
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