ネオ・レインボーブリッジ

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Photo by taka (7D)

これは、お台場の海浜公園から撮影したレインボーブリッジの写真だよ、って言ったら、10人のうち2人ぐらいは信じるのではないだろうか。ぼくはこれを初めてみたとき、(なんで、ここにこんなものが!!)と、かなりの衝撃を受け、目を疑ったことを覚えてる。

東日本大震災の巨大津波で街の大部分を流されてしまった陸前高田では、山を崩して土砂を作り、津波の被害のあった場所、つまり市街地全体の底上げをしている。海抜高度を上げることで、次回の津波に備える作戦だ。

箱庭のような小さな町だったけれど、それでも町全体を底上げするために、地道に土砂をダンプで運んでいては、長い年月がかかってしまうということで、巨大なベルトコンベアーをこしらえ、土砂を連続して運ぶことにしたらしい。そして、この橋は、そのベルトコンベアが、山から市街地に向けたとき、気仙川という川をまたぐために建築されたものだ。

次の写真は、気仙川の堤防のところから見上げるアングルで撮影したもの。
震災の前は、散歩したこともある場所だが、今では工事現場になってしまった。

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Photo by taka (7D)

山を崩して得た土砂は、橋を渡った後、更地になった陸前高田の元市街地まで運ばれ、それから要所要所に運ばれていく。まるで一帯が何かの工場になってしまったようだ。

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Photo by taka (7D)

初めてこれらの風景を見たとき、ぼくは強い憤りを感じた。

ぼくらの故郷をどうするつもりなんだ、と思ったし、復興費を利権と考える金の亡者たちの影を感じたからだ。

そもそも、土地を底上げしたところで、それよりも大きな津波が来たら、終わりである。
せっかくの山を崩してまでやることじゃない。

ただ、今のぼくは、これは、ぼくの口の出すところではないのだろう、とも思っている。ぼくの知っている範囲では、反対の声を聞いたこともないので、最終的には、地元の人たちが決めて受け入れてることなのだろう。
(もちろん、反対している人もいるとは思うが)

今回は、一本松の近くまで行って来た。

震災後、何度か帰省したけれど、いつもずいぶん離れた方から見ていた。
一度はちゃんと見ておくべきだと思ってたので、念願が叶ったことになる。

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Photo by taka (7D)

日本全国がお盆休みに入っていた頃だったからかもしれない、ぼくのように見学に来ている人たちは、たくさんいた。

悲しみのモニュメントではあるけれど、ほとんどの人たちの表情は笑顔であった。観光という意味合いの方が強いのだろう。

ただ、ひとりひとりの心には、自然の驚異を目の当たりにして、何かを感じたはずである。ぼくは、それで、いいのだと思う。

身をもって体験し、記憶のどこかに残れば、いつか役立つこともあるはずだ。

案内板にあった震災前の一本松の写真も撮ってきた。
橋の右手に悠々と立っている。

ぼくもこの橋は何度も渡ったことがある。
言われてみれば、確かにあそこに目立つ松があったような気もする。

橋の向こうに見えるのは、すべて松の木であり、松林を抜けるとたぶん2キロメートルぐらいの幅の大きな砂浜が広がっていた。

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Photo by taka (7D)

こうして写真を比べてみても、ここが同じ場所を撮影したものだとは思えない。

この場所に限らず、陸前高田では、震災前の姿を残したものは、ほとんどなくなってしまった。そのことが、どういうことなのか、ぼくは未だに消化できていない。


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