自信過剰の自覚と反省

photo by taka (7D)

自分の考えていることは、大多数の人が賛同するものだ、と思い込んでいた時期がある。未成年の頃から、大人と言われる時期に入ってからも、しばらくの間、そう思っていた。ぼくが書いた文章は他の人にとって興味深い内容であり、読めば面白いと感じてもらえると思っていたのだ。

しかし、ある日、(あれ?なんか違うかも?)と思い始めた。それは多分、ツイッターの「リツイート」や「いいね」が、ほとんどないことが発端だったと思う。自分では渾身のツイートをしたつもりでも反響は少ないか、まったくない。最初はフォロワー数の少ないせいだ、と思ってたけど、そのうちそれはあまり関係ないことがわかってくる。タイムラインに表示されるツイートにフォロワー数がついているわけではない。面白いツイートはフォロワー数に関係なく「リツイート」され「いいね」され、結果としてフォロワー数を伸ばすのだ。

自分のツイートが、大したものではない、ということを自覚すると、いろいろと辻褄が合ってくる。そうか、ブログやホームページのアクセスが伸びないのも、ツイート同様、文章がイケてないから、ということである。なんだ、そうだったのか、すべては自分の思い込みで、何か書けば何とかなる、というのは大きな間違いだったのだ。ぼくは自分の思い込みを自覚し、馬鹿だなあと思った。

こうなると、仕事で書いている提案書とか設計書はどうなんだろう?という疑問が出てくる。わかりやすく書いていたつもりだったけれど、読み手にしてみれば、酷い文章だなあと思いながら読まれているのかもしれない。いやはや、これはまずい、と思いつつ、もう人生、ここまで来てしまったのだから仕方がない。

これからも軌道修正しながら、いろいろと正しながら生きていこうと思うんだけど、まだちょっとわからないことがある。自分のツイートは伸びないのに、同じような内容・同じ様な言葉でツイートしている人がぐんと伸びたりしている。この違いは何なのだろう。

同じ言葉でも、言う相手によって聞こえ方が違う、ということはよく経験することだ。何でも素直に聞きたくなる人もいれば、何を言われても心が受け付けるのを拒否したくなる人もいる。それかな?

今後の自分は、出来るだけネットの世界でビジネスを広げていきたい。しかしこのような状態では、ぼくの声は、多くの人の耳に入ることなく消滅してしまうであろう。それは困るのでいろいろ模索しているところなのである。


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