なぜ、今ここが大切なのか。
投稿:2017年7月30日
更新:2017年7月31日
Photo by taka (7D)
久しぶりに、風呂に浸かりながら
呼吸中心の瞑想をしてみた。
なんとなく、急に、その気になったのである。
呼吸しながらの瞑想は
「今ここ」に在ることを実感することが出来る
もっとも手軽で簡単な方法だと思う。
「今ここ」というのは、
マインドフルネスな状態ということである。
「今ここ」=「マインドフルネス」
言い換えれば、心と身体が一体化した状態である。
そこに到達するのに、呼吸を意識するのが
もっとも手っ取り早い方法、ということである。
でも、「今ここ」または「マインドフルネス」って
一体、何がよいのだろうか。
なんだかわからないけれど
とにかく、今ここを目指してないだろうか。
現在、過去、未来、といった時系列において
短絡的な言い方になるけれど
「今ここ」というのは、現在のことである。
そして、ぼくら3次元で暮らすものたちは
現在にしか、存在することが出来ない。
だから、ぼくらは
常に「今ここ」に存在すると言える。
ところが、実際に「今ここ」に常に存在するのは
心と身体のうちの、身体の部分だけである。
心の方は、滅多に「今ここ」にはいない。
大抵は、過去のどこかを彷徨っている。
いやいや、過去になんかいない、
現在に生きている、という人でも
実は、過去の記憶の光を
現在に照らしながら見ている。
本当は、色なんか付いていないのに
過去の記憶が赤ければ
赤い光で照らしてみてしまうから
それは、赤く見えてしまう。
それは、すなわち、
過去を見ていることと等しい。
さらに、未来のことを考えているときも
実は、過去で照らしてみている。
未来のことも過去の記憶をもとに
構成しようとするからだ。
結局のところ、人間が思考を使ってるときは
常に過去に在ることになる。
過去の記憶の光で照らしてみると
今ここにあるものを
まっすぐに見ることが出来ない。
だが、マインドフルネスの状態に入れば
心と身体が一体化し
過去の光で現在を照らすことなく
そのままの姿で物事をみることが出来るのだ。
瞑想しているときに
雑念や思考を止めようとするのは
過去からの光を止めることに他ならない。
人気ブログランキング ナチュラルライフ