「俺たちの旅」を観ながら自分の生き方を思い出す秋の夜長

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Photo by taka (ixy400)

スカパーで「俺たちの旅」という
古いドラマのスペシャル版が再放送されていた。

たまたま、ちらっと放送予定を見つけ
ああ、懐かしいなぁと思い録画しておいた。
それを夜中に観たのである。

「俺たちの旅」

カースケとオメダとグズ六の物語。

知る人ぞ知る、というか
ドラマをやっていたのが1975年から1年間だから
リアルタイムに観たのは、今、50代以上の人か。

オープニングのテーマソングのイントロの
ストリングス3音+コーラスを聴いただけで
当時の自分に戻るという感覚は
ぼくと同じように
このドラマを毎週楽しみに観ていた人たちなら
わかるかもしれない。

スペシャル版は、3回放送されている。

本放送終了後、10年め、20年め、30年め
それぞれの節目に放送されたものだ。

今回見たのは10年めと20年めの再放送。
(30年めの回は次の日曜に放送されるらしい。)

もう懐かしくて懐かしくて、一気に見てしまったのだが
特に20年めの分「俺たちの旅 二十年目の選択」では
とても心に残る場面があった。

40代は人生の踊り場で
今まで、がむしゃらに階段をのぼってきたが
なんだか、急に先が見えてきて
俺の人生はこれでいいのかと
みんな立ち止まって考える時期なんだよ。

みたいなことを
グズ六がカースケに言うのである。

この番組、20年めの初回の放送は1995年で
この頃のぼくは、まだ30代前半。

ドラマを観ながら
(40代は人生の踊り場なのかー)などと
ほとんどヒトゴトで観ていた事を思い出した。

むしろ、ぼくには人生の踊り場なんてないじゃないかな、とか
これはドラマの話だから、などと
悠長に構えて観ていたような記憶がある。

しかし、とんでもない。
あのときと同じ番組を再放送で観ているぼくは、
たったいま、人生の踊り場のど真ん中にいるような気がする(笑)

人間が生きていく上で
喜びを感じることもあるけれど
心から喜ばしいと思える事は
年齢を重ねるごとに減っていくんじゃないか。

心がバケツに入ってるとしたら
バケツの底の方には
過去に経験した寂しさや悲しみが
少しずつ沈殿しているような気がする。

バケツの底には穴が開いていないから
心の中の重たい部分は
ずっと、底に、溜まったままだ。

さらに、心のバケツには
たくさんのしがらみが
蔦のツルのように絡み合っている。

軽やかな動きでステップを踏んで
空まで駆け上がってた頃を思い出しながら
切ないなあ、と思う。

心が喜びに浸ろうと思っても
バケツ全体では、もう喜ぶことが出来ない。
喜びながら、悲しんでいるような
なんだか、よくわからない状態に
なってしまうのではないか。

それが、人生の深みというものなのかもしれない。
いや、そうではないかもしれないけど。

それが、生きるということなのかもしれない。
いや、そうではないかもしれないけど。

「俺たちの旅」というドラマは
単純なストーリーの展開よりも
一場面一場面の人間の心の深い部分について
とても大切に描写している映画のようなつくりである。

見ていて辛くなるような場面もたくさんあるが
自分に重ねたときに
やりきれなさとかやるせなさとか切なさとか
そういうどうしようもない部分を
うまく癒してくれているような気もする。

自分の本当の思いを、自分の人生に表現することは
簡単そうだけど、とても難しいこと。

なぜなら、自分の本当の思いですら
見失ってしまうことが多いから。

当時のぼくは、たしか、中二ぐらいで
子供心にも、カースケの生き方に憧れていた。

自分の思いに正直に、突っ走る。

今、踊り場にいるかもしれないぼくは
カースケに、応援されているような気持ちです。


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