大船渡線 BRT そしてネバーレットゴー

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Photo by taka (7D)

この写真、踏切の遮断機の先に見えるのは
アスファルトの道路だが
実は、ここ、もともと線路だったところだ。

東日本大震災により
岩手県のドラゴンレール、大船渡線は
沿岸部に壊滅的な被害を受けた。

その影響で、気仙沼駅から終点の盛駅までが
巨額の復旧費が必要のため
復旧工事も始まらず、ずっと不通のままだった。

その後、とりあえずの仮復旧として
線路だった場所をバス専用車線に作り替え、
バスを走らせる、BRT方式というものを採用した。

その様子が、例えば、この写真の一枚である。

遮断機の向こうはバスが走る道路。
一般の車両が間違って入らないように
バスが通らないときは、遮断機が降りている。

ところで、この写真は、去年の八月のもので
まだ仮復旧なんだ、いつか線路に戻るんだ、
と思いながら撮影したものだけど
その後、去年の暮れあたりに
仮復旧だったBRT方式を
本復旧とする、ということになったらしい。

もともと採算が合わないような路線に
多額の復旧費をかけられない、ということなのだろう。

このあたりの考え方に
ぼくは、強い違和感を感じるのだが
ぼくが、そんなことを言っても、仕方がない。

本復旧になった以上、何か起こらない限り
大船渡線の盛駅まで列車が来ることは
無くなってしまったことになる。

大船渡線なのに
大船渡まで列車が来ない。

そのうち、
違う名前になってしまうのかな。

さみしい話。

三陸鉄道の南リアス線、盛駅は復旧しているので
まったく鉄道がない、というわけではないけれど
やっぱりね、さみしいね。

ぼくはノスタルジーの世界で
さみしいなんて言ってるけれど
実際に地元の人たちのなかには
とても困っている人は多いはず。

子どもたちと老人たちかな。

経済的な効率や合理性ばかり求めてると
経済弱者の生活がどんどん不便になる可能性が高い。

大船渡線は、一関市の一ノ関駅から
大船渡市の盛駅までの路線だった。

ぼくは高校が一関だったから
実家に帰るときは、
大船渡線を使うことが多かった。
(自転車で帰るときもあったけど)

大抵、それは夜の時間だった。

3時間かかる道のりだったので
結構、暇で、本を読んだり
音楽を聴いて過ごしていた。

もちろん、当時は、iPodなんかない。
カセットテープで聴く
ウォークマンが出たばかりの頃。

そこで聴いた音楽は
カーペンターズのスーパースターだったり
キャメルのネバーレットゴーだったり

で、夜の旅の雰囲気の中
しんみりと聴いていたせいか
それらの曲はぼくのなかで
夜汽車のBGMと化してしまった感じがする。

BGMっていうか
もう夜汽車そのものって感じ。

今でも、それらの楽曲を聴くと
列車のディーゼルエンジンと
がたんごとんと走る線路の音が
混ざったような響きと
静かな夜の雰囲気が
ぼくのまわりをそっと包んでくれる。

あの頃の感受性というものは
きっと今の何万倍も強いもので
すぐにいろんなものと結び付けて
定着させてしまう力があったのだろうな。

あの頃聴いた音楽は
ずっと、好きなままだ。

今、音楽を聴いても
なかなか、好きになれるものは少ない。
いいなと思っても
のめり込むほどでもないし。

それでも、たまに
ああ、これだ!と思うものもあるけれど
ほんとに、それはまれなことである。

もう、あの頃のような気持ちで
音楽に親しむことは出来ないのだろうか。

いや、もしかすると、久しぶりに
大船渡線のまだ運行している区間に乗って
聴いてみると、昔のように聴けるのかもしれない。

そう思って想像してみたら
ふと、銀河鉄道の夜の一場面を思い出した。

杉井ギサブロー監督の
アニメーションの映画である。

そういえば、雰囲気がそっくりだった。
場所も岩手だし。


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