神さま、いるのか、いないのか。

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Photo by taka (7D)

神さまが、いるのかいないのか、考えたことがあるだろうか。いるとしたら、どこにいるのか。1人なのか、沢山いるのか。そのようなことを、誰もが一度は、考えたことがあるのではないか。もしくは、いつかどこかで誰かと、そのような話をしたことがあるのではないか。

神さまに対するイメージは、誰もが同じわけではない。見たことがないのだから、もしもいると信じたとしても想像するしかない。その想像は、人それぞれである。頼りない。そして、例えば、宗教を例にしても、神さまは1人だったり、無数にいたりする。

神さまの定義が人それぞれ違うのだ。定義を合わせて、いるいないを論じるならまだしも、未定義のものについて、いるいないを論じても、話がかみ合うわけがない。

例えば、こんな感じに。

「あなたが考えているようなものが神さまなら、神さまはいないと思うけど、ぼくが考えているようなものが神さまなら、いると思うよ。」

ちなみにぼくは、宇宙=愛=神という思想で、すなわち何もかもが「神さま」である、というような考え方である。でも、それが絶対に正しい、などとは考えたことがない。ぼくの中で、神さまとは、そういうものだ、と思っているだけの話である。

同様に「愛」についてもそれは言える。

恋人に対する独占欲や嫉妬や執着まで含んだもろもろを「愛」と考えている人もいるだろう。また、何もかも赦して受け容れる無条件の愛を「愛」と考えている人もいるはずだ。

「愛」の定義の違いから、人間関係がより複雑になっている気もする。「愛しています」の一言がもつ意味が、正反対になりうる可能性があるわけだから。

そのように、ぼくらが使っている言葉の中には、同じ言葉でも、個人個人でまったく異なる定義付けになってしまっている言葉は、少なくない。

言葉と言うものは、頼りなく曖昧な表現なのである。

「言葉にしないとわからない。」と言われる話をよく聞くけれど、言葉にすると、ますますわからなくなるときもある。むしろ、言葉にしない方が伝わることもある。それは、個人個人の持つ、特定の言葉に対するの定義(イメージでもいい)の違いがあるからである。


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