撮りためた写真をみながら、311や原発について思う

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Photo by Taka (X2)

ぼくが撮影した写真が、外付けのハードディスクに大量に保存されている。保存と言っても、撮影した日付毎にファイリングしているだけだ。日付毎に並んでいるだけだから、特定写真を探すときは、意外と大変なんだけど、ぼーっと眺めている分には、自分の歴史を眺めているようで、なかなか楽しい。

例えば、今日の掲載した写真は、2008年8月15日の日付フォルダに保管されていたものだ。さっきまで、ぼーっと眺めていて、目に止まり、今日のブログの写真に使おうとサイズ加工した。

写真だけみると何だかわからないかもしれないけれど、このときのぼくは、お盆休みをとって、実家の大船渡に帰省している。午前中は、母親とお寺に行き、午後はひとりで、ぶらぶらとドライブに出掛けた。そこで、小さな港に立ち寄り、車を停めて散歩しながら、漁船の一部を撮影したものである。

時間は18時頃。夏の夕暮れ、まだ明るい時間。雨上がりで霧が発生している。ただそれだけの写真だけど、写真を手がかりに、当時の様子が意外なくらいはっきりと浮かんでくる。岸壁と波の音、海鳥たちの声、潮の匂い、雨上がりの湿気、風のゆるやかさ、夕暮れの光のグラデーション、それから、その時の心持ちの様子など、昨日のことのように思い出せる。

そのように、写真からのダイレクトな情報を得て、一通りタイムスリップ出来たあと、必ず考えてしまうのが、その写真の日が、東日本大震災よりも前か後か、ということだ。写真に限らず、過去の記憶をさかのぼるとき、悲しいかな、2011年3月11日よりも前か後か、必ず考えている自分がいる。

この写真の世界では、3年後未曾有の大災害を経験することを知らない。ぶらぶら散歩しながら、撮影しているぼくも知らないし、この土地の人も、多分、鳥や花や木、そして魚たちも。

この辺りも相当な被害が出たはずだ。この漁船も流されてしまったかもしれない。そんなことを考えても、どうすることも出来ないのだが、考えてしまう自分がいる。必ず、考えてしまう。考えて、胸が痛くなる。

あのとき、地震だけだったら、それほど大きな被害は出なかったはずだ。しかし、大津波が来てしまったから、大変な被害になってしまった。そして、最悪なことに、原発が爆発してしまう。

津波の被害はもう確定しているけれど、原発の被害はまだ未確定だ。原発事故で死んだ人は誰もいない、と言った政治家がいるらしいけれど、なんと無知で無責任で想像力に欠けた発言なのだろうと思う。見える部分よりも見えない部分で、これからも、多くの人たちや自然環境に被害が発生していく。ヒトゴトではない。日本に住む(或いは近隣諸国も含めて)人たちのリスクが増大した可能性が高い。津波の被害は終わったけれど、原発の被害は現在進行形で広がっている。関係者たちは、そのことを決して認めようとしないみたいだけれど、こうしている間にも、被害が、どんどん広がっている可能性は否定出来ない。

未だに、原発を再稼働しようとしている人たちは、もう福島のようなことは絶対に起きないぐらい安全が確保されたと思っているのだろうか。それとも、危険かもしれないけれど、自分たちの生活を変えたくないから、自分たちから遠いところに住む人たちにリスクを背負わても仕方ないと考えているのだろうか。それとも、これぐらいなら被曝しても大丈夫と考えているのだろうか。

低ければ、被曝しても問題ない、という説がある。しかし、それは説でしかない。誰もわからないのだ。そして、実際に、311以前よりも、確実に被曝量は増えている。

熱中症に例えると、同じ暑さでも、個人差により症状が出る人が限られるように、低被曝でも健康に影響が出る人と出ない人がいるのだと、ぼくは想像している。そうなると、被曝量が増えればそれだけ症状が出る人も増えるのではないか。大部分の人には問題がなくても、一部の人には異常が認められることもあるのではないか。

散歩がてらでぶらぶら歩きながら、線量計を持ってあちこち測定するだけで、あの原発から漏れ出した放射性物質は、東日本の広い範囲を汚染したことを実感出来る。岩手の実家の裏山でも線量が高いところはあるし、都内でも高い場所はある。埼玉も同様だ。

自分で測定しながら、場所の特性と線量の高さ、低さを感じながら、イメージすれば、爆発して飛び出した放射性物質が、どのように降り注いだかもわかる気がする。例えば、斜面と麓では、斜面の方が高い場合が多い。風に乗って坂にぶつかれば、ぶつかった箇所の方が線量が高くなるのは当然のことである。埼玉であれば平野部より秩父などの方が高い様子をみればその想像は間違っていないのではないか。

再稼働しても安全なら、それを証明してほしい。被曝しても健康に問題がないのなら、それを証明してほしい。ぼくの認識不足かもしれないけれど、未だに科学的な証明がなされた話を聞いていない。それになにより、再稼働する前に、福島を元に戻してもらいたい。元に戻すどころか、現在も汚染を広げている状態で、再稼働しても安全です、という言葉は信用出来ない。さらに使用済みの燃料棒は、いったいどうするつもりなのか。そこまで考えたら、原発で作る電気のコストは大変に高いものになると思うのだが。そして再稼働することがどれだけ人類にとってマイナスなのかわかると思うのだが。これはぼくの妄想なのだろうか。

311の後、ぼくは、しばらく、写真を撮っていなかった。撮れなかったのだ。今になって思えば、あのときの様子を撮影しておくことは、とても大切なことだったようにも思うけれど、それはしなかった。

あのとき、とても多くの人の運命を一度にみてしまったような気がして、ぼくに出来ることは、ただ祈ることだけだった。それ以外のことをしていてはいけないような気がしていた。

ぼくが再び写真を撮り始めたのは、311から2カ月後の5月2日からである。このとき、ぼくは、遅ればせながら、岩手に帰省する。東北自動車道が通れるようになり、とりあえず原発の様子も落ち着いたようにみえた頃だ。それでも、変わり果てた地元の様子に圧倒されながら、ほとんど写真は撮れなかったけれど。

最初にも話したけれど、このときから後の写真は、311の後の写真だ、と思いながら眺めることになる。311に関係しない写真でも、前後を意識しながら観ていると思う。

阪神大震災を経験された方も、同じような気持ちで過去を振り返るのだろうか。アメリカの同時多発テロ(911)についても、それから、第二次世界大戦についても、同様に思うのだろうか。きっと、どの体験も、それが起こる前と後では、まるっきり世界が変わってしまうのだと思う。

これからも、一瞬で世界は変化してしまうような大きな出来事は起こってしまうのだと思う。天災はぼくらの力ではどうしようもないとしても、人災は避けたいものだ、と思う。そう考えたとき、このまま日本に住んでいていいのかな、と思ったりもする。


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