ブッダの幸せの瞑想

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Photo by taka (7D)

先日の村上禅師つながりで、「サンガジャパン」という本の存在を知った。面白そうだったので、購読してみたのである。それを読んでいたら、本文中で「ブッダの幸せの瞑想」という本の内容が引用されていた。それは、とてもとてもそそられる内容だったので、引用だけでなく全部読みたくなり、取り寄せてみた。

「ブッダの幸せの瞑想」は、ティク・ナット・ハン師という方の教えを書いた本である。本の帯には「世界にマインドフルネスを広めた、世界的な仏教僧による、瞑想実践ガイドブック」と書いてある。

瞑想実践ガイドブックと言えば、ぼくは、OSHOの「新瞑想法入門」という本も所有している。どちらも沢山の種類の瞑想の実践方法が書かれているが、感じられる世界が随分と違う。いやいや、どちらもパラパラと開いたようなもんだから、これはまったく第一印象のようなものだけど、例えるなら、OSHOのは理系、ティク・ナット・ハン師のは文系って感じである。

例えになってないか(笑)

OSHOのは修行僧の厳しさのようなものが伝わって来る感じ。
ティク・ナット・ハン師のは日々の生き方のようなものが伝わって来る感じ。
もちろん、どちらも素晴らしい。

とはいえ、実は、「ブッダの幸せの瞑想」は、瞑想の実践ガイドとして取り寄せたわけではない。瞑想の実践ガイドばかり集めているわけでもない。そういう本だとは思わなかったのだ。イメージとしては、ブッダの瞑想に対する考え方がほんわかとした感じで書かれている感じだった。

そのほんわかは、サンガジャパンの中で紹介されていた「十四のマインドフルネス・トレーニング」から受け取ったものである。冒頭で書いた、そそられる内容とはこのことである。

ちょっと抜粋する。

第一のトレーニング:心の解放と公平さ
狂信と不寛容がつくりだす苦しみに気づき、盲目的な崇拝や、あらゆる教義、理論、イデオロギーは、たとえ仏教でも絶対視しないと誓います。仏教の教えは、慈悲と理解を育てる導きの手段として受け止めます。それは闘ったり、殺したり、いのちを捧げるような教えではありません。(以下略)

神さまは、決して、私を崇拝しなさい、とか、教義を守りなさい、とか、信者を増やしなさい、などとは言わない。お布施をしなさい、とか、壺を買いなさいとかも、言わない。まして、戦争や虐殺など、絶対に望んだり命令したりしない。そのように見えたり、体験したりするのは、どこかで誰か(人間)が、そのような仕組みを作っているからである。宗教の中には、神のためではなく、誰かのエゴのために、成り立っているものも少なくないのである。

ぼくは、昔から、心の解放と公平さを感じられない宗教は、ニセモノだと思っている。人間は本来自由な存在なのだから。そんなぼくの気持ちが、この「第一のトレーニング」からばっちり共感してしまった。それで読みたくなったのである。

ところで、この「十四のマインドフルネス・トレーニング」の話は、また別にすることにして、ぼくが今日、書きたかったのは、この本の中にある別な話である。

たくさんの瞑想の実践方法のひとつである。これも抜粋する。

歩く瞑想
私たちはいつでも歩いています。しかしその歩みは、ほとんど走っているようなものです。急いで歩けば、大地には不安と悲しみの足跡がつきます。一歩でも平和に進むことができるなら、つぎの二歩、三歩、四歩、五歩も、人類と地球の平和と幸福のために歩むことが出来ます。(以下略)

時間にも、心にも余裕がないとき、ぼくはとても早歩きになっているときがある。そんなときは、大地のことも忘れて、いらいらしたまま、この嫌な時間を、早く済ませてしまおう、みたいな気持ちで、歩いている。スピリチュアル的に言えば、「すべてはひとつ」から完全に分離した状態であり、すなわちエゴだけで生きている状態だ。きっと、身体の中に毒を巡らせてる酷い状態になっていると思う。

だから、「急いで歩けば、大地には不安と悲しみの足跡がつきます。」というところを読んだとき、はっとした。ぼくは、そんな足跡を、今まで数え切れないぐらいつけてしまっていた。

翌日、歩くとき、意識して、一歩ずつ、優しい気持ちになって、大地を踏みしめるように歩いてみた。ぼくの苦手な朝の通勤時間、多分、一日のうちで一番、ネガティブな足跡をつけてしまうときに、意識して、地球と会話するみたいに、歩いてみた。一歩ずつ、左足も右足も、平和や安らぎ、愛と光を唱えながら。そして、それは、とても気持ちのよいひとときになった。

不思議なもので、コンクリートの上を歩くとき、固くて冷たい感じしかなかったものが、ふわふわとした暖かい感触に変化したように思えた。大地が、地球が、つながりを思い出させてくれたような気がした。

今日、ぼくは、ただ歩いたことしか書かなかったけれど、「歩く瞑想」はただ歩くだけでなく、呼吸も交えた技法があり、本文中には詳しく書かれてある。

瞑想は、不思議な体験をするためのものではなく、まして、悟りを開くためのものでもなく、人生で得ることが出来る恵みをしっかりと実感しながら生きるための方法である、というようなことを感じられる本である。


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