脱原発ということ

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Photo by taka (7D)

都知事選では、脱原発がひとつのキーワードになった。脱原発が争点だ、いや都政には関係ないから争点じゃない、など、いろいろな意見はあると思うけれど、キーワードになったことは事実である。

ぼくは、東日本大震災が起こる前から、原発には反対していた。そのことは、自分のブログでも表明していた。絶対に安全であると言われた原発だったけれど、電力会社や政治家たちが説く安全性については、根拠に乏しく信用出来ないと思っていた。また、仮に強固な安全性が確保されていたとしても、人間の想定などたかがしれていて、一旦事故につながると、致命的で取り返しのつかないことになる、ということも、反対の理由だった。

今でも、すべての原発は即座に廃炉にするのがよろしい、と考えている。現時点、日本で稼働している原発はゼロだそうだが、そのまま廃炉にしてしまうといい。原発について、人間の未来を考えたとき、今の人類の技術力ではメリットになることは何もないばかりか、人類を滅ぼしてしまう可能性があると考えるからである。特に日本のような火山・地震が頻繁に起こる国では、危険極まりない。何万年も毒性が消えないプルトニウムの番を誰がするのか。何万年も地殻変動が起こらず安静に保存しておける確かな場所など誰かわかる人がいるのか。

国や電力会社、学者たちが絶対に安全と言っていた原発は、東日本大震災により、メルトダウンし、爆発し、放射線物質をまき散らした。今でも汚染が続いている。福島県、東北地方、そして東日本、或いは地球の生態系が受けた影響は計り知れない。他で汚染の話を聞いて、受け売りしているわけではない。ぼくが実際に線量計を持って各地を移動しながら測定し、経験したことを言っている。本当に広範囲に汚染されている。ここまで汚染されていても、未だに安全と言う人もいるけれど、チェルノブイリの例を当てはめると、今後数年間で、何らかの影響が出始める可能性はゼロではない。もちろん、線量が高い場所で、致死量の被曝をした場合は、大変に危険な状態になるのはすでに明白になっている。

既に過去のもの、或いは遠い土地の不幸なお話として、記憶から消えそうになっている方もいらっしゃるかもしれないけれど、今でも福島第一原発は試行錯誤の連続で、収束の目途すら立っていないように見える。

ぼくは、そんな状況において、未だに、脱原発か原発推進かについて議論していることが、信じられない。原発の危険性は、誰もが理解したはずなのではないのか。身を持って体験したはずではないか。なぜ、脱原発を前提条件として話を進められないのか。

今でも、とても多くの人が、自分の家に帰れないまま、悶々とした日々を過ごしている。東京のために作っていた電気のために、福島の人たちの生活が続けられなくなってしまったのだから、今度は、東京が、福島の人たちのために何かしてあげられることがないのか、と考えるのが、同じ星に住む人間の気持ちというものではないのか。そのことを、東京都民のひとりひとりが、都知事選というイベントを利用して、表明しても良かったのではないのか。

原発をやめてしまうことで、困ってしまう人も少なくないのだろう。困ってしまう部分のうち、生活に関わることは、みんなで一生懸命知恵を絞る必要がある。また、そこに援助を惜しんではならない。

それから、単純に利権に絡む部分でうまい汁を吸っていた人は、もはやこれまでと諦めて頂きたいと思う。(利権のことだけ考えたら、原発を続けるよりやめる利権の方が獲得しやすいと思うけれど)

金儲けしたい人はすればいい。それでより多くの幸せを感じられると信じているのなら自分なりの答えが出るまで利権を追い求めるといい。但し、最低限、自分のしていることが世界にどういう影響を及ぼしているか、ちゃんと考えて頂きたい。他人が困るようなことをしてはだめだ。

と言っても、何か事故が起きるたびに、想定外でした、とかなんとか言い切る、言い訳は達者だけど、想像力のない人たちに、そこまで求めるのも難しいのだろうか。


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