自己表現と言葉

IMG_4385
Photo by taka (7D)

自分を表現する方法はいろいろある。自分以外の誰かに、自分というものを伝えられれば、どのような手段を使っても、それは自己表現と言える。いろんな手段があるはずだ。文章、絵、音楽、踊り、その他・・・。まあ、生きることそのものすべてが自己表現と言ってしまえばそれまでだが、ここでは自分で意識して、自分というものを、外側の世界に対して(或いは、誰かに伝えるために)表現しようとしたときの話をしようとしている。

ぼくがぼくを表現しようとしたとき、言葉による表現がもっとも適切であると思ったのは、たしか、小6か中1の頃、フォークソングのための詩を書いていたときではないかと思う。鉛筆とノートがあれば、いくらでも表現を続けられることを知ったぼくは、自分の中にある言葉を組み合わせて、まねごとのような詩をいくつもいくつも書いた。その中のいくつかは曲となって歌われたりもしたけれど、あくまでもメインは言葉による自己表現だったように思う。

あれから40年近く過ぎて、今のぼくは、詩こそ書かないけれど、ブログを書いたり、ツイッターでつぶやいたりしている。言葉で自己表現しているという点では、まったく変わりはないのだろうなと思う。

ただ、ここ数年、自己表現というものに、少しずつ、違和感を感じ始めていた。これは言葉による自己表現に限らず、自分のする表現すべてにおいて言えることだけど、何かを表現した直後に、だからなに?という言葉が続いて、自己完結してしまうようになってしまったのだ。

どうだい?これがぼくだよ! という表現の後
で、だからなに? という自分のつっこみ。
つっこんだ後は、自己表現した何かが即座に陳腐化して、取消してしまいたくなる感じ。

一瞬前の自分の表現が、ちゃんちゃらおかしくなり、めちゃめちゃ恥ずかしく、もう、穴があったら入りたくなる。

この状態に陥ると結構つらい。ブログやツイッターは、下書きの段階でならボツにすればいいけど、一旦公開すると、表現そのものはネット上に拡散されてしまう。取消は出来ないのだ。まあ、それでも自分で耐えられないときは、消してしまうけど(笑)

夜更けに、悶々とした気持ちで書いたラブレターを、朝読んだら、とてもポストになんか入れられないものだ、というけれど、その一連の流れが、一瞬で起こってしまう感じ。

ブログ、ツイッターに限らず、リアルな日常でも、自己表現をするために言葉を発することもあるわけだけど、今後は、ますます、取消したくなる回数は増えて、ダメージも大きくなりそうだ。

スピリチュアル的な修行の一環にもなると思うけど、「自分が今、何をしようとしているのか?」ということをはっきりと見つめながら、生きていきなさいってことなのだろうと思う。自己表現というものは、神さまから与えられたひとつのツールだと思うけれど、魂のする自己表現と、エゴのする自己表現は全然違う。多分、つっこみを入れたくなるときって、エゴが調子にのってるときではないのか?いや、まだ、はっきりとわからないけれど、そんなことも見詰めながら、自分の中から発する言葉を選んでいきたいと思う。発した言葉は、自分に還ってくるものだしね。


にほんブログ村 こころの風景
人気ブログランキング ナチュラルライフ