憧れの街区表示板

画像のような住所を記した表示板をみたことがありますか?
これは、「街区表示板」というものらしい。
普通に家の近くにある方もいれば、見たことないなあって思う方もいるかも。

ぼくには、この街区表示板が気になって仕方がない時代があった。
それは小学生の高学年頃から上京して社会人になるぐらいまでの頃だったと思う。

ぼくの実家は、大船渡市というところだったけれど
そこには、このような街区表示板というものはなかった。
しかし、お盆などで父親の実家の盛岡に行くと
町のあちこちにある、この街区表示板が目についたのである。

さっき、まだあるのかなと思い、
父親の実家があった場所あたりを
ストリートビューで歩いてみたら
確かに、まだ存在していた。

金属の板はかなり劣化してみえたので
もしかすると、数十年前、ぼくが見たときのものと同じものかもしれない。

あの頃のぼくにとって、盛岡は大都会であり
都会に憧れる10代の少年にとって街区表示板は
都会の標のようなものだったのだと思う。

盛岡にあるもので大船渡にないものは
いろいろたくさんあった。

デパートとか(のちに千葉久デパートが出来たけど)
フルーツパフェとか(盛岡に行かないと食べられなかった)
片側2車線で信号待ちする渋滞した道路とか
今、こうして書くと、ちょっと笑えるけど
当時のぼくには、どれもが盛岡への憧れの象徴であり
街区表示板は、その代表格のようなもので
それで、気になって仕方がなかったのである。

さっき見つけたストリートビューの画像も
ここに載せようと思ったけど
スクリーンショットを撮って
ちょこんと貼り付けるわけにはいかないらしく
手間をかけてルール通り貼ってはみたけど
なんか違う気がして外してしまった。
(まあ、それはよしとして)

さて、中学生のぼくは、街区表示板のある盛岡に憧れて
高校は盛岡だ、と思っていたけれど
学力が足りず(笑)、一関の高校に進んだ。

そしてなんと、一関にも街区表示板は存在したのである。
こちらもさきほど、ストリートビューで確認出来た。
盛岡よりもずっと少ないのか、見つけるのに苦労したけれど
確かに、まだ存在した。

ストリートビューで住んでいた場所の近くや
ゆかりのあるところを歩きながら
憧れの街区表示板も存在する一関に住んだ3年間は
ほんとうに幸せだったなあと思った。

さて、今、ぼくが住んでいる埼玉県では
あまり街区表示板をみたことがない気がする。

違うタイプのもの(白地のものとか)は
あるようなないような


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