好きな過去に戻れるとしたら

過去の好きな時点に戻れるとしたら、どこに戻る?

どこからともなく、そういう問いが現れて
さて、どこに戻りたいだろう?と考えてみる。

まず浮かんできたのは、
付き合っていた女の子との思い出のシーン。

高校卒業で下宿を引き払うときの前日の夜
さあ、夜もふけて、そろそろ寝ようと思ったら
こっそりと彼女が家を抜け出して泊まりに来てくれた
あの、ドアを開けた瞬間とか

東京のボロアパートに
昔の彼女が泊まりに来てくれて
ふたりで並んで座ってるときとか
(この2人の彼女は別の女性)

なんだ、女ばかりじゃん、と思って
ちょっと落ち着いて考えていたら
中学2年ぐらいのときの
自宅での夕飯の風景を思い出した。

こたつで親子4人
両親とぼくと妹。
あとは犬もいたかな。

親父は焼酎を飲んでおり
母親は食事の用意。
ぼくと妹はテレビをみている。

白いモヤの中に浮かぶ幻のような
当時の様子が浮かんできた。

あの頃のぼくは
ギターしたりアマチュア無線したり
今思えば、結構友達もいて(彼女はいなかったけど)
毎日が楽しかったように思う。

ちょっと生意気だったのだろう。
上級生からこずかれたりもしてたけど
気にしない気にしない、のノリで。

どれも若い頃の記憶だ。
10代から20代前半の記憶。

ぼくの楽しい時期は25歳ぐらいで
終わってしまったのかな。

思い出せないだけだろうか。
楽しいことはなかったかな?

いや、そうじゃないな。

25歳以降の思い出は
今でも再現可能なことなのかも。
(もちろん完璧な再現は無理だけど)

絶対に戻れない、絶対に再現出来ないときだからこそ
戻りたいと思うのだろうな。

そこまで考えついたら、
大船渡商店街や高田の街並みが浮かんできた。
津波で跡形もなく流されてしまったあの街並み。

もうあの街並み、歩くことさえできないのだ。

東京のボロアパートだけは
津波に流されず、と書きたいところだけど
あの建物は東北に大津波が来るずっと前に
解体されて新しい建物になっていた。

ただ、新たな住まいにも
アパートの大家さんの苗字の表札がかかっていたので
建て替えしただけのようだけど。
(その建物、山手線からよく見えるので、把握出来てる。)

思い出は思い出でしかないけれど
たまに思い出に戻って浸りたいと思うこともある。

そのときに、せめて思い出の場所だけは
変わらず、そこにいてくれたら、ずいぶんいいよね。

大切にしておきたい思い出がある人で
思い出の場所まで残っている人は幸せだと思う。


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