ここ数年の不調について思うこと

Photo by taka (ip11)

ぼくは、子どもの頃から、文章を書くのが好きだったから、世の中にインターネットが出現し一般人に開放され、自分のサイトが立ち上げられるようになったときは、とても嬉しかった。自分の撮影した写真や文章を世界に向けて発表出来るのだから、楽しくて仕方がなかったのだ。

だから、ぼくは、毎日のように更新を続けた。半ば得意になって更新していた。ところが、いつの日か、それが億劫になり、そのうちそれら全般(自分のアップする内容や更新を続けている自分)に対して嫌悪すら感じるようになっていった。そういった自分の中で起こったその変化に気づいたとき、その理由を考えたが、はっきりとわからず、ここまで来てしまったというわけだ。

変化の理由について、最初はスランプだと思った。だが、スランプは終わらず、以前のような楽しい気持ちにも戻れなかったので、これは飽きたのかもしれない、と思った。それでも、ネットにアップしたい欲求は残っていたので、更新作業はしていた。ただ、以前のようにネタが浮かばないし、ネタが浮かんでも文章が途切れる。沢山の投稿が下書きのまま残っていった。

さらに、ブログの内容について、難癖つけてくる人も現れた。妄想を膨らませてぼくが書いてないことまで誹謗中傷して来るので、対処のしようがなかった。この人とは何度かやり取りをしたが、結局止まらなかったので、ぼくは面倒になって書く気力もなくなり、ブログをひとつ閉じた。そのブログはぼくのメインのブログでアクセス数も多かったので、平常心で考えたら閉じる必要なんかなかったのだが、心がおかしくなっていたのだと思う。

そんなこんな、いろいろあって、今に至るわけである。文章を書くのが辛いのだ。こうしてたまに更新しているここのブログも、無理して書いているところはある。すらすら書けるときもあるけど、大抵は以前のように楽しんで書いてるわけではない。もっとも、ここのブログなんか趣味の世界だから書いても書かなくても事業的にはまったく影響ないけれど、それ以外のビジネスに関わるものまで、影響している(ぼくの仕事のほとんどは文章を書くかプログラムを書くかだ。)ので、自分の中では何とかしたい、と思いながらもここ数年、苦しんだままだ。

あれだけ楽しく書けていたのに、なぜ、今、それが出来なくなってしまったのか。いろいろあって心が病んでしまったのか。年齢的なものもあるかもしれない。どうしたらいいんだろう。もう駄目かな。自問自答の日々。

だが、昨日、ふとしたことから、わかった気がした。

以前、楽しく続けていた頃は、自己表現が豊かに出来ていたのだった。出来栄えはともかく、ストレートに自己表現して写真や文章にし、それを良しとしていたのである。要するに自分のことが好きだったのだと思う。自分を好きだから、自分が表現したものも当然好きで、それを世の中に発表したくなっていたのではないか。

今のぼくは、自分のことを好きではないようだ。以前に比べると自分に自信がもてない。自信が持てないから、次に起こることが怖くて仕方がなく、どっしりとしていられない。そんな状態で何かを表現しようと思っても出来るわけがないんじゃないかな、と思った。何かを表現しても、自信がないから評価されるのが怖いのだ。以前なら評価なんか考えもしなかったのに。

自分を好きだったぼくは、すいすい生きてたし、自己表現も豊かだった。
自分を好きではないぼくは、おどおど生きていて、自己表現もままならない。

そういうことなのではないか。

もしも、そういう理由だとして、解決策は自分を好きになること、だと思うんだけど、それはどうしたらいいんだろう。自分を好きになるには、ぼくがぼくであることをもっとも最高の経験として認めながら、それを味わい尽くすこと、ということだろうか。(今、この解決策は急に頭の中で文章となって現れた。)

というわけで、なんだかここ数年の悩みが、なんか解決しそうになっている気がする。いろいろ試したり実践したりして、前のような状態に戻れたらいいな。というかここ数ヶ月の収入がほとんどないので、以前のような状態に戻って、走り出さないとマズいのである。


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