おれはがんばる

photo by taka (ip11)

こんなはずじゃない、
こんなはずじゃない、
と思いながら、ここまで来てしまった。

昨年から始めた商売の話である。

どこかの成功者の話に
「勝つまでやれば、必ず勝てる。」
というような名言があった。

もちろん、一理あると思っているし
ここで負けを認めようと
思っているわけではないけど
用意していた資金が尽きてしまったので
ここで一区切りなのだと思う。

うまく行きかけて
有頂天になり始めたときに
どすんと落とされることが2回あった。

今月の中旬にもそれはあって
おお、いけるんじゃない?と思ったら
数日後にどすんと落ちた。

今回は特に、瀬戸際にいるので
ショックは大きいのである。

若いときは、何をやっても
うまくいっていた。

自分は優秀な人材だと思っていたし
そうやって売り込んで回った。

今は、ポンコツかも、と思ってる。
従って、売り込む気持ちにもなれない。

若いときのぼくも今のぼくも
基本的には、同じ人間なのだから
気持ちの持ちようでしかないはずなのに
自信満々から自信喪失へ
ぼくは、変わってしまったようだ。

もしかするとこのブログで
書いたかもしれないけど
ここ10年ぐらいかな
過去を後悔するようになってきた。

以前なら、我が人生に悔いなし、
後悔なんてありえないと
思って生きていたんだけど
年々、過去の自分に対する後悔が
次々、湧いてくるようになった。

若いころ、後悔しなかったことを
なぜ、今になって後悔しているのだ?
と思う自分がいる。

本当なら、後悔すべきところで
能天気なまま、何も気づかず
これでいいのだ、と思って生きてきたのかも

今日、考えていて、ふと、気づいたのは
同じ過去の行動に対しても
順調に生きてるときは
その過去の行動もうまくいってたと思い
どうもうまくない、と思って生きてるときは
その過去の行動が原因だ、と
思っているような気がする。

例えば
ぼくは大学を中退しているのだけれど
人生が順調に思えるときは
中退したからこそ、早く仕事も覚えられて
何もかもうまくいってるのだ、と思い、
人生に陰が出てくると
中退してしまったから
中途半端な人生になってしまった
とか考えてしまうわけである。

よくよく考えると、勝手な話である。

何もかも、過去の自分のせいにしてる。
この状態になったのは
今の自分がそこにたどり着いたからなのに。

そういえば
ずっとお祈りばかりしてる気がする。

お祈りは悪いことじゃないけど
本当にやるべきことをやらずに
お祈りばかりしていたかもしれない。

うまくいくかどうかわからないけど
とりあえず気の向くままに
中途半端に何かを作り
お祈りで完成させようとしている感じ。

区切りをつけるのだから
今まで通りのやり方とは違う方法で
或いは違う心持ちで行く必要がある。

その第一は、
お祈りに頼らない、ということかも。

お祈りに頼っていたわけじゃないけど
結果的に、そうなっていた。

とはいえ、
今日、役所に向かって歩いているとき
自分の状態の悲しさや悔しさ
それから不安のような気持ちに
押しつぶされそうになってしまい
泣きそうになりながら歩いていたら

ちょうど交差点のところで
ぼくのすぐ前に止まった車のナンバーが
父親の命日だった。

ピンチなときとか
親族の法事とか
なにかの節目とかに
この数字が飛び込んでくることが多い。

それは車のナンバーだったり
時刻だったりするのだけれど
明確に、メッセージとして受け取れる。

ああ、父親が見守ってくれてる、と思って
だいぶ、心が落ち着くことが出来た。

お祈りには頼らないし
もちろん、父にも頼らないけど
見守ってもらいたいとは思う。

おれはがんばる。


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