人生はらせん階段のようだね

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Photo by taka (7D)

ある日、スピリチュアルな世界に入り込み、
見えない世界のことを、いろいろと探求してきた。
そして、ここまで来て、一巡して
一区切りを迎えたのかな、と感じている。

もともと、子どもの頃から
神とか魂とか、妖精とか妖怪とか
見えない存在は、いるのだと思っていた。

思い込みよりは、もう少し強い感覚で
例えば、実家の裏山を散歩したとき
北上山地の持つ、優しくも哀しみを帯びたような
不思議な感覚を感じながら
ここには、八百万の神さまがいらっしゃって
ぼくたちをみているのだ、と思っていた。

でも、超能力のようなもの
例えば、透視とかテレパシーとか
そういうものは、あまり信じてなかった気もする。

見えない世界はあるにせよ
見える世界に存在する者には
不思議な力が与えられることは
ないと思ってたのかもしれない。

ぼくと同じ見える世界にいる人間に
壁の向こう側が見えたり
人の心をはっきりと読めるなんて
出来るわけがないと思っていたのだ。

だが、ふとしたきっかけで観た
深夜のテレビ番組で
ぼくは、吸い込まれるように
スピリチュアル、というものに入っていく。

江原さんの出演するテレビだった。

テレビだけなら、すぐに熱は覚めて
忘れてしまったかもしれない。

だが、その後、江原さんの本に書いてあった
オーラの見方を試してみたら
ぼくにも、視えてしまった。

この体験で、ぼくは
はっきりとはわからないけれど
現実の、この見えている世界が
見えない世界と密接につながっており
その世界とのつながりを
はっきりと感じることが出来る人が
いるのだ、ということを知った。

そこから
スピリチュアルの世界について
ずいぶんと探求をしたり
霊的な教えを実生活に実践したりして
まあ、ここまで歩んできたのだけれど

去年、立て続けに読んだ
何冊かの非二元論の本たちは
見える世界も見えない世界も
実際は、存在しないのだ、ということを
ぼくに投げかけてきた。

非二元論的な考えを含まない
スピリチュアルの世界では
現実世界は幻のようなもので
ほんとのリアルは、向こう側の世界だという。

確かに、この現実世界は
かなり作り物のような感覚がするし
本来の世界が、向こう側の世界だと聞くと
なんとなく安心感も広がり
いいことだなあって思っていたのだが

非二元論では
なんと現実世界だけでなく
向こう側の世界もないという。

なんにもないのだ。
あるのは、ただこれだけ。

どうかしてるぜ、まったく。

と思ったけれど
それもまたありかなあと思ってしまう
ぼくがここにいる。

この感覚は
正確な例えではないけれど
振り出しに戻った感じに似ている。

人生の実体験も
スピリチュアルで探求してきたことも
なにもかもが、ほんとは起こっておらず
心の中で浮かんできたこと

そう言われれば言われたで
思い当たる節があるぞ、と思いつつ

もう一歩下がって考えると
それらが、今のぼくにとって
どうでもいいことなのだ、と気づく。

もともとどうでもいいことだと思っていた。
それは間違いない。
だって、気にしてなかったのだから。

そういう意味で
冒頭に書いた「一巡した」という表現は
結構、今の自分にしっくりと来る。

今のぼくは、ぼくがぼくであることを
よかったと思えるような人生に近づけようと
結構、なりふり構わない状態になっている。

もっとも、すでにこれが
ぼくがぼくであることを
よかったと思える人生なのかもしれない。

人生はらせん階段のようなものだね。

おなじようなことを繰り返しているようで
見える景色はどんどん変わっていくし
繰り返していたと思ってたことは
まったく新しい経験だったことに
後から気づいていくのだから。


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