「なんにもしない」という選択
投稿:2016年2月13日
更新:2016年2月13日
Photo by taka (7D)
ここのところ、年末年始から、
断続的ではあるが、仕事をしていなかった。
仕事がなかったのではなく、請けないようにしていたのである。
もう請負仕事はやめて、違うスタイルで仕事をするつもりだった。
だから、3か月ぐらいはぶらぶらしながら
次のことを考えていようと思っていたのである。
収入がなくなるのは辛いところだが
もう、大手のプロジェクトに参画するようなスタイルは
やめてしまいたかった。
ところが、仕事の話は舞い込んで来る。
そして、断り切れず、ひとつ請けてしまった。
それが、来週の月曜日から始まってしまう。
また、しばらくの間
なんちゃってサラリーマンのような生活に入る。
Photo by taka (7D)
正規雇用と非正規雇用について
いろいろと話題になったりする。
この話は、ぼくから見れば
持ち家と賃貸住宅の違いに似ている気がする。
それぞれにメリット・デメリットはあると思うけれど
正規雇用で仕事をし、持ち家を所有することを
目指す方が多いのではないか。(安定志向?)
ぼくの場合は、そうではなく
正規雇用の選択はあり得ず
住むところは、賃貸住宅で構わない。(自由志向?)
誰かがつくった会社の正社員になって
そこで生涯、働き続けるということが
ぼくには出来そうもない。
なんちゃってサラリーマンのような形でも
ぼくの中では、結構、いや、かなり、負担は大きい。
その理由は、いろいろあるけれど
それは、またどこかで書くとして。
持ち家を持たないのも
生涯、住むことになろう場所を決めてしまうことが
とても難しいことである、という理由からだったけれど
最近では、歳のせいなのだろう、
人里離れたような場所の古民家でも買って
ひっそりと住むのもいいかなと思ったり。
でも、住んでみたら
いろいろ不便だったり
夜が怖くなったりして後悔するのかな。
ところで仕事をせずに
次のことを考えていた結果だけど
形のあるものは何も出来ていない。
休みに入る前には
サイトのひとつふたつは立ち上げて
新しビジネスモデルのひな型ぐらいは創ろうなどと
ノリのいいことを考えていたのだけど
ご覧のとおり、ブログの更新も出来てない状態
ほんとのほんとに
なんにもせず、過ごしてしまった。
毎日、気ままに過ごしたよ。
ねこといっしょに、ねこのように。
強いて言えば、
思う存分時間を使って
非二元関連の本を読んだこと
それから、次のことをやるにしても
誰かから仕事を貰うスタイルは
ぼくとしての最終結論にはならない、ということが
はっきりとわかった、ということ。
「なんにもしない」ということは
何の行動もしないこととは違う。
「なんにもしない」という行動を
自ら選択してしたのである。
このことが詭弁でも何でもなく
いろんな効果をもたらすことを
ぼくは、以前、4か月間、仕事をせずに
ぶらぶらしていたときに気づいた。
今回も、1か月ぐらいだったけれど
なんにもせず過ごした結果
いろいろなことに気づけた気がする。
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