柿の木と近所付き合い

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今頃の季節、散歩していて、実がなっている柿の木を見つけると、いいなあ、と思ってしまう。思わず立ち止まって、鑑賞してしまう。大きな木も小さな木も、どれも見ごたえがある。たくさんの実をつけたものも見事だが、ひとつふたつ残っている枝ぶりもまたいい。いつか、ぼくも家を持つようになったら、庭には柿の木を植えよう、と思ったりもする。見てよし、食べてよし、ぼくは柿が好きである。

実家の庭にも柿の木があり、毎年、たくさんの実をつけていた。ところが、先日、帰省したとき、切られていたのである。なんだか、とても残念でさみしかった。何十年もかけて、あそこまで育ったものを、切ってしまう気持ちが、ぼくにはぜんぜんわからないのだが、それが自分の母親なのだから、困ったものである。

とはいえ、落ち葉の掃除など、いろいろ面倒なこともあるのかもしれない。ぼくの家の近所には、落ち葉が庭に飛んでくる、と苦情を言って、いつも見事に花を咲かせる大きな桜の木を何本も切ってしまうような家もあるから。

ぼくが子どもの頃は、いい人たちも住んでいたのだけど、そういう人たちは、そんなわがままな家の振る舞いに嫌気がさして、みんな引っ越してしまった。

ぼくは中学を出てすぐに親元を離れたので、その辺りの細かいことは、知らなかったのである。だから、いざとなったら、いつか実家に戻って、暮らしてもいいかな、等と考えていたこともあった。しかし、今は、絶対に嫌である。状況を知ってしまったから。それは、親父の葬式のときに集まった近所の大人たちをみて、はっきりと思った。この人たちはおかしい、と思った。

つい先日、親父の法事で帰省したときも、一杯食わされた。詳しいことは書かないけれど、怒りを通り越して、ただただ呆れてしまった。抗議しようと思ったけれど、お袋が住みづらくなるだけだから、我慢した。それに、抗議しても、たぶん無駄である。彼らは自分たちが正義だと思っている。ほっとくのがいちばん。

田舎の人は温かい、とか、あれは間違いである。
都会の人の方が、よっぽど、分別があり、温かく優しい(笑)

もちろん、すべてがすべて、そういうわけでもない。温かい人もたくさんいると思う。ぼくの近所がたまたまおかしなことになってるのかもしれない。

ぼくが岩手に帰るとしたら、花巻あたりに住んでみたい。
なんとも言えないやわらかい緑があふれる地である。
そして、ぼくの生誕地でもある。花巻でなければ、一関か盛岡がいいかな。


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