311 – 何するにしても切ない一日の記録

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Photo by taka (7D)

3月11日の朝、ぼくは、いつもの電車のいつもの車両のいつもの場所で、とんでもなくざわざわした心のまま、居たたまれない気持ちでいっぱいになっていた。今日は、まともに仕事が出来るのだろうか、と心配になるほど、精神状態は不安定だった。しかし、どうすることも出来ず、とにかく何か、バランスを取ろうと思って、携帯を取り出し、ツイッターでつぶやいてみた。こんな感じで。

「何するにしても切ない一日が始まった。」

今年の311は、去年よりも一昨年よりも切なさが増している。悲しみは時間が解決してくれるのではなかったのか。いやいや、本当に酷い悲しみは、後からやって来るのだ。起きた直後は、心が麻痺状態に入り、丸ごと受けとめることをしない。心の安全装置が働くのかもしれない。

父が亡くなったときは、そりゃあもちろん悲しかったけれど、葬式の辺りは、ただ淡々と日々を乗りきっていたように思う。だが、一週間後に、それはやってきた。一段落して、実家を後にし、ひとり車を運転しながら自宅に帰る途中、それまで平気を保っていた心が一気に崩壊して、悲しみが溢れて来たことを覚えている。竹駒神社の近くの国道に出る交差点で信号待ちしていたとき、突然、嗚咽レベルの悲しみに襲われて、涙は出るは鼻水は出るはで、運転するには危険な状態だった。任務を終えて、ひとりの時間の中で、安全装置が外れたのだ。ぼくは、あのときのぼくに、とてもびっくりしたことを覚えている。そうだ、確か、カーステレオからは、ジュディマリの「小さな頃から」が流れていたのだ。あれが引き金になったのかもしれない。

311は、父のときのように、悲しみが到来するのは、一週間後ではなかった。もう3年経つのに、未だに悲しみの勢いが増しているような気がする。そういう部分だけで判断すると、父の死よりも強烈なことなのだと思う。もちろん、311と父の死は、比べることは出来ないものなんだけれど、ある意味で、父の死について、ぼくは受けとめたつもりだ。父の死は、ぼくが受けとめられる大きさだったのである。だが、311については、ぼくは受けとめられていない。ぼくが受けとめることが出来る大きさを超えている。ぼくには受け止めきれない。ぼくは、311で起きたことや、311から始まった(311で発覚した)問題に対して、ただただ無力だ。

実は、311についての何かに接するたびに、心を揺さぶられたり泣いてしまう自分がいた。震災直後はそうではなかった。日に日にそんな状態になって来たのである。だが、自分がそんな状態になってしまう理由がわからなかった。ただの悲しみで泣いているわけではないはずである。

ぼくは、実家が三陸だけれど、実は、ぼくの直接の知人で311で亡くなった人は誰もいない。なので、ぼく個人的な範囲で考えたら、父の死の方が悲しいのではないか、と思うのだが、そうではないのが不思議だと思っていた。なぜそこまで影響を受けてしまうのか。今年もわけがわからず3月11日を迎えて、そして通勤の電車で悶々としていたわけだけど、ふと、その理由が「無力」であるということに気付いた。先程書いた「ただただ無力だ。」という部分は、今朝、わかったことなのである。

無力であり、手も足も出ない状態。
手ぐらい出せばいいのに、足ぐらい出せばいいのに。
そう思う。しかし、なにひとつ、出来ていない。

自然に対する無力さは、仕方ないと思っている。大津波は、ぼくの力では止めることは出来ないのだ。人間の力では止めることは出来ないのだ。(止めてはいけない、という思いもある。)いつか来る津波に備えて、ぼくらは暮らさなければならない。(いつか来る津波に備えて暮らせばいいだけのこと、という考え方も出来る。)そういう意味で、自然に対する無力さは、ぼくの中では悲しみの原因にはなっていないように思う。(もちろん、あの日に津波にのまれた1万人以上の人たちのひとりひとりの日常や幸せの儚さを想えば泣け来て仕方ないのだけれど)

そして、もうひとつの無力を感じる相手は、社会だ。
例えば、原発の件である。

ぼくは原発がいつか必ず悲惨な事故を起こすと思っていたから、絶対反対だったのだけれど、いつか本当に事故が起きたら、誰もが危険性に気付いて、すぐに原発をやめましょう、ってことになるのだろうと思っていた。確信していた。そして事故が起きた。メルトダウンした。もういいだろう、もうやめることになるだろう、原発反対運動も終わりだ。。。と思った。

ところが、まだやるという。少なくても、何十万もの人が被害を受けているのに、経済のためには原発が必要だという。国のために原発が必要だという。ぼくは、とてもびっくりした。え?被害が出てるのに、まだ事故の片付け方すら決めかねているのに、まだやるんだって?原発なんかなくても電気は作れるのに、どうしちゃったの?西日本で原発事故が起きたら、多分、もう日本は、今までの日本ではいられなくなると思うよ?また想定外って言っちゃうのかな?

原発だけでなく、今の政治の世界は、ぼくの理解出来ないことばかりである。311の後、日本は真っ当な道を目指し始めるのかと思ったら、どうやら、そうではない方向に進んでいる。憲法を理解していない人たちが憲法を変えようとしている。日本を変えようとしている。そんな様子に対して、ぼくは声をあげたいのだが、あげられないでいる。なんにも出来ないでいる。声をあげる前に選挙が行われてしまい、この人だけは当選させてはダメだと言う人が選ばれてしまう。まさにそれは、ぼくの考え方が、今の日本人から外れているということではないか。

社会のことばかりではない。自分に対しても無力である。なぜなら、そもそも、311の直後、ぼくは原発事故でびびってしまって、故郷である東北に駆け付けることも出来なかった。母親の安否が不明にも関わらず、ぼくは馳せ参じることをしなかったのである。もちろん、ぼくにも家族もいるし仕事も家も守らなくてはならないのだから、あのときの毎日のように起きる地震や原発の状態を気にしてたら、すぐに行けるわけではないのだけれど、それにしても、結局何も出来なかった。ぼくが岩手に行ったのは、高速道路が開通した後、2カ月経ってからである。

なんとなさけないことか。なさけなくてうしろめたくて、どうしようもない。要するに、そういう気持ちを一言で表すと、「無力」ということになる。そして、ぼくがとにかく理由がわからず泣けて来ていた原因は、自分の無力さに対して、情けなかったからのようだ。

そんな気付きがあった311の朝の通勤。
忘れないうちに、ここに書いておこうと。

それから、もうひとつ、気付きではないのだけれど、こちらは励みになったこと。

311の夜、仕事を終えてから、田口ランディさんのアノニマス・エイド東京慰霊祭2014「3月11日・私たちの祈り」という集いに行って来た。新宿(牛込柳町)の経王寺というお寺さんで行われたのである。ランディさんやウォン・ウィンツアンさんにお会いすることが出来て、不思議なパワーを頂いたように思う。本当にありがとうございました。(若松英輔さん、上畑正和さん、和津実さんも素敵な方でした。)経王寺さんにも、改めてお線香をあげに参りたいと思っています。

今年で4回めということで、今まで行かなかったことを後悔するほど、よい時間になった。この時間は、後々、ぼくの今後の進む道に影響するような気がする。ぜひ、来年も行けたらと思う。


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