原因不明のいらだちと、聖なる予言

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Photo by taka (7D)

ここのところ、ブログが頻繁に更新出来ていることに、自分でも驚いている。とは言え、何か自分の内部が変容したとか、活発化したとか、そういうわけではなく、とりあえず前に進むために、心の不安定な部分を切り離し、元気な部分だけで書いている感じだ。だから、ちょっと気を抜くと、すぐに堕ちてゆく感覚に襲われる。実際、今日辺りは、ちょっとまずい感覚がある。

無気力と喪失感がブレンドされたようなこの感覚は、原因不明のいらだちを呼び、ぼくの心の中に、生きてゆくことの意味がどこにもないのではないか、という不安を生成する。生きていても仕方ないのではないか、というような投げやりな要素も含む。

それらはもちろん、精神衛生上よいものではないと思うし、全然スピリチュアルではない、と思うのだけれど、今日、ひとつ気づいたことがあるので書いておきたい。

それは「原因不明のいらだち」というキーワードである。

「聖なる予言」(著 ジェームズ・レッドフィールド、訳 山川夫妻)という本がある。

九つの知恵をテーマに物語が進んでいく名著であるが、その第一の知恵のはじまりが、「原因不明のいらだち」で始まるのだった。

そのことを覚えていたわけではなく、今日、たまたま、九つの知恵の解釈に触れたくなって、「聖なる予言」を棚から引っ張り出し、開いたときに、「原因不明のいらだち」のことが書いてあったのだ。

ぼくのこの状態は、「原因不明のいらだち」で始まる第一の知恵が当てはまるのかな?と考えながら、その部分を熟読してみると、なんだか、一致する部分も少なくない。(これぞ意味のある偶然の一致かもしれないが)

しかし、初めて聖なる予言を読んだのは、もう何年も前のことなのに、ここまで来て、やっとぼくは第一の知恵の入り口にいるのかよ、という想いも(笑)

聖なる予言については、以前、地球を救えブログに、まとめを掲載しようとしたことがあるが、簡単に挫折してしまった。今度こそ、このブログのどこかに、小さいページで良いから、実現したい、と考えている。

それは、聖なる予言が、多くの人々のスピリチュアルの入り口となりうる名著であると思っているからだ。

そう言いながら、ぼくも、入り口の扉を開けたり閉めたりして、なかなか中に入れないでいる1人かもしれないけれど(笑)


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