エゴについて

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Photo by taka (7D)

スピリチュアルな話や哲学、心理学などで
よく目にする「エゴ」という単語。
この単語の意味を、エゴイズムのエゴだと思っている人は
少なくないと思う。

もちろん、エゴイズムの意味で使われてる場合もあるだろうし
ぼくがここでエラそうに言いたいわけでもないけれど
このブログでも、頻繁に、エゴという言葉を使うので
ちょっと、エゴについて、書いておこうかなって思った。

スピリチュアルで使われるときの「エゴ」の意味は
エゴイズムの意味ではなく
「自我」という意味で使われてることが多い。

こういう場合、エゴイズムのエゴだと思ってると
わたしにはエゴがないから
話があてはまらないわ・・・なんてことになる。

とくに、奇跡のコースや非二元論においては
自分と思っている心は、まるまるエゴである。

「エゴ」とは「私が」と思うところ、
個の意識のことだ。
自分という意識を、エゴといっている。

だから、誰にもエゴはある。
エゴのない人はいない。
意識のうち、無意識以外の部分は
すべてエゴである。

そして、ぼくもエゴという言葉を使うとき
そういう意味で使っている。

ぼくたちは、たいていの場合
エゴを通して、世の中をみている。

エゴが曇れば、世の中も曇り
エゴが晴れれば、世の中も晴れる

そして、実は、このエゴというものは
なんと、幻想であり、存在しない。

般若心経における「照見五蘊皆空」は
このことを言っている(とぼくは思っている。)


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