愛は無限 時間は有限

 

関学時計台

自分に使える時間の多くをボランティアに費やしている私のことを肯定的にみてくれる人は、私の周りにはあまりいないように感じています。今朝も「自分の成長のために時間を使いなさい」と友人に諭されました。

その友人によると、そのような(私のような?)人をアドラー心理学では「プリーザー」というそうです。八方美人ってこと? そうなのかなぁ。決してそんなつもりはないのだけれど、自分でも気が付かない心のどこか片隅に、人から良く思われたいって気持ちがあるのかなぁ。別に人からどう思われてもいいんだけどなぁ、ほんとに。

 

確かに、やりたいことはもっと他にもたくさんあります。やっているボランティアが直接的に自分のためになっているかと言われると、否です。でも、少なくともやらされているわけでもなく(ちょっとそんな部分もないわけではないですが(笑))、まぁ心が折れるほどには頑張っていないからいいじゃんとも思ってしまうわけです。

実は以前、ボランティア団体で働いているときに、心が折れるどころか、粉々になってしまった経験があります。身も心も疲れ果てて、とうとう自分が空っぽになった。あれあれどうしましょうってくらい。でも今となっては、そこまでの状態になったからこそ気付きがあり、今の私があるのです。素直にありがたく思えるのです。

 

そうそう、しんどいことは、神さまからのギフト。

 

とはいえ、なんだかんだいっても実際問題として時間は有限。私から愛は果てしなく溢れ出ているのだけど(笑)、友人の忠告どおり、やはりそこは上手にバランスをとりながら、残りの”私の人生”を送っていかねばなりませんね。

 

 

息子が通う大学のスクールモット―は、”Mastery for Service”。学校のシンボルともなっている時計台にも、この言葉が記されています。日本語に訳すと「奉仕のための練達」。練達というくらいですから、思いはとっても深い。行為として奉仕(ボランティア)をすればよいということではなく、自分のなかに常にその精神を持ち続けること。きっとそういうことだと思います。