愛の反対は無関心?いやいや、この宇宙には「愛」しかない
投稿:2016年10月4日
更新:2016年10月4日
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「愛」の反対はなに?という会話や話題
いつかどこかでしたり聞いたり
したことがあるはず。
さて、愛の反対って何だろう。
無関心とか憎悪とか言われてる。
だが、ここではっきりさせよう(笑)
愛の反対なんてないのだ。
なぜなら、この宇宙には「愛」しかないのだから。
その理由は、とてもシンプル。
すべてはひとつ。
そのひとつは「愛」。(他には何もない。)
愛こそすべて。
宇宙の成り立ちについて、以上。
この宇宙には「愛」しか存在しない。
「愛」じゃなんだかわからない、という人は
「愛」を「神」に置き換えてもいい。
もっともこの置き換えの話は
神との対話の「神」の言葉の受け売りだったかも。
以上のことから
この宇宙には「愛」の反対になるものは無い。
ところが、「愛」ではないものなら、
見つけることが出来る。
それは「分離」である。
すべてはひとつなのだから
ひとつでないものが
愛以外のものである。
あれれ?
宇宙には「愛」でないものは何もないのだから
分離なんてないはずじゃないのかな。
だが、ぼくら人間は、
分離という概念を理解していると信じている。
ないはずのものを
あるものとして扱っている。
そう、分離は、ぼくら人間が作り出した幻想だ。
そして、この幻想は
ぼくら人間が抱える
すべての問題の原因になっている。
この世界では
「愛」と呼ばれるものはたくさんあるが
正真正銘の愛は、滅多に存在しない。
愛を言い訳の理由にした
愛ではないものなら沢山ある。
愛を神で置き換えてもいい。
神を言い訳の理由にした
神でないものも沢山ある。
これら愛のまがい物は
人間が作り出した幻想そのものである。
真の愛は、無条件に存在する。
なぜなら、ここには愛しかないのだから。
条件が付けようがないのだ。
無条件の愛という言葉があるが
それはありのままの愛の状態でもある。
だから、愛することに条件を付けると
ありのままではなくなり、分離が発生する。
条件付きの愛は、純粋な愛ではない。
愛国心という言葉がある。
この言葉の意味を知っているだろうか。
自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。
出典:デジタル大辞泉
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/710/meaning/m0u/
いま、ぼくが書いている
「愛」の定義を当てはめると
宇宙全体がひとつの国ならば、自分の国を愛すことは「愛」。
だが、現在の地球のように、沢山の国が存在し
その中のただひとつ「自分の国」だけを愛し
隣国を愛さない(または憎んだりする)ことは「愛」ではない。
なぜなら、自分の国だけを愛するということは
愛する以前に、分離をしているから。
分離は幻想であるから
その時点で正真正銘の愛ではなくなっている。
自分の気に入った部分だけを分離して
愛した気持ちになるのは、愛ではなく幻想である。
国家間の争いなど
分離した愛から憎悪が生まれる様子を
ぼくらは吐き気がするぐらい何度も経験している。
愛する祖国のために、とか
神の名において、とか
もっともらしい言葉で行われる戦争も
決して、愛や神が戦争の原因じゃない。
すべては、ぼくら人間の幻想で創りだした
分離が原因なのだ。
家族愛という言葉がある。
自分の家族に対する愛情を思い浮かべるかもしれない。
だが、これも、家族という条件で分離しているから
正真正銘の愛ではない、と言える。
家族に対してなら、
無条件の愛を注げる、という人はいるかもしれない。
だが、もしも、自分の意に反した行動をとったとき
愛のままでいられるだろうか。
子どもが親の希望する将来を選択しなかったとき
愛のままでいられるだろうか。
旦那や奥さんが不倫したとき、愛のままで
いられるだろうか。
もしも、家族愛ではなく
すべてはひとつ、愛しかないと
心底思えているならば
旦那や奥さんが不倫しても
愛のままでいられるかもしれない。
もちろん、不倫を奨励するわけではないし
嫉妬したり悔しい思いをするな、
といってるわけではない。
だが、もしも、すべてはひとつ
なにもかも愛、ということに
何の疑いも躊躇いもなく理解すれば
そこから感じるものは、愛しかないはずだ。
愛の以外のものは、すべて分離であり
それは幻想で、そこから生まれる感情も
もちろん、幻想でしかない。
愛国心や家族愛にみられるように
愛の認識を間違えたために
いろいろな種類の争いが起きているのが
この世界の実情だ。
ぼくらは、愛ってなんだろうってことを
いまこそ、真剣に考えるときのように思う。
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