がらがらケータイ

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photo by taka (ixy)

ぼくは、ガラケーという言葉が嫌いだ。

ぼくの携帯は、普通の携帯である。
だが、いまや、普通の、では通じないかもしれない。

昔ながらの携帯である、と書けば
確実に通じるだろうか。

どこかの誰かが言いそうだ。

「そんなの簡単です。
 ガラケーと言えばいいんですよ。」

だが、ぼくは、ぼくの携帯が
ガラケーというものだとは思ってないし
そう呼びたくもない。

世間では、そう呼んでいることも知っているが
そんなのは関係ない。

ぼくは、携帯電話が
この世に生まれたときから知ってるし
その時には、あたりまえだけど
ガラケーなんて呼ばれてなかった。

だいたい、ガラケーという発音を聞いただけで
なんだか、騒がしい気分になるではないか。

ちょっと使うだけで
がらがら音がしそうで落ち着かない雰囲気だ。

まったく、下品で俗っぽい。
ああ、いやだいやだ。

先日、近所の蕎麦屋に寄ったとき
携帯でメールを使っていたら
蕎麦屋のおやじさんが

「あ、ぼくもこれですよ、
 スマフォなんかわからなくてねえ。」

と親しげに話しかけて来た。

ぼくは、笑顔で
そうなんですそうなんです
という顔をして
返したけれど
いやいや、ぼくはわからないわけではない。

そうか、世の中の人は
普通の携帯を使ってるおじさんは
スマートフォンが難しくて
仕方なく携帯を使っているように見えるのか
等と考えた。

電車の中で若者たちが
スマートフォンを使いながら
横目で、携帯を使うぼくをみて
このおじさんは、スマホも使えないのね、
頭悪そうだしね、かっこ悪いわぁ、
と思われてる時もあるのかも。

馬鹿言っちゃいけねえ
お前さんたちが生まれる前から
おいら、コンピューターが
仕事の道具よ!

それに、そのアプリとやらも
おいらたちが作ってるんだぜい

なんて、被害妄想の塊みたいになって
心の中で叫んでみたり(笑)

まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。

とにかく
ぼくは、ガラケーという言葉が嫌いだ。

ちなみに、ぼくが携帯を
スマートフォンに変えないのは
別に意地を張っているからではない。

電話をする、または短文のメールをする
という用途を考えた場合
やはり、普通の携帯の方が使いやすい。

それと、なーんだ、と思われるかもしれないけれど
ぼくは、大抵、iPad miniを持ち歩いているから
スマートフォンがなくても
不便することはないのだ。

実際、そういう組み合わせの人も
少なくないのでは、と思う。

最近は、老眼のせいで、小さい文字が見えず
スマートフォンの画面は
見辛くなってしまった、というのも
ぼくの場合、理由になるかも (^_^;

なので、iPad miniを手に入れる前
とても重宝して持ち歩いてた
電話の出来ないiPhoneみたいな
iPod touchくんは
いまや、寝床で休眠中である。

老化って、ほんとに、さみしい。

まあ、これもある意味、祝福のひとつである、
とは思ってはいるけれど。


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