宇宙はホログラムで出来た幻想なのか

夕焼け
Photo by taka (7D)

この宇宙が、幻想であると言われても、大抵のひとはピンと来ないと思う。
幻想もなにも、こうして自分が実体として存在しているのだから、
間違いなく、現実に違いないのだと考えても不思議ではない。

だが、仏教では一切皆空、
すなわち、あらゆる現象や存在には実体がないという。

同様に、スピリチュアルな世界でも、様々な見解があるにせよ
その多くの説として、この世は幻想で出来たテーマパークだと言われる。

さらに、科学の視点からも、ホログラフィック宇宙論が、
ぼくらの認識している空間は、宇宙の地平面に映しだされた
ホログラムの幻影に過ぎないのだ、と言っている。

ぼくらが実体のない幻想、またはホログラムであるということを
スピリチュアル・宗教の側からも
科学の側からも言われているというわけだ。

もしも、この宇宙が幻想だとしたら
すべて、なにもかもが、幻想なのか、というと
そんなこともないのである。

ぼくらの世界は、確かに幻想だけれど
ぼくらの世界を創りだしている側には、実体(実相)が存在する。

ホログラフィック宇宙論で言えば
この実相からの放射で、ぼくらの宇宙やぼくらがホログラムとして現れ
こうして生きているような気になっているわけだし

スピリチュアル的に言えば
実体からのエネルギー(マインド)で幻想が創りだされて
やはりこうして生きているような気になっているのだろう。

(ここら辺りは、あくまでも想像)

「すべてはひとつ」というとき、
そのひとつは何かといえば実体そのものである。
それは、きっと、ぼくらが神、と言っているものである。

神という名前(それもあだ名のようなものだが)の「ひとつ」から
何らかの理由で、今の幻想の世界が創りだされているのだ。

それが宗教でも科学でも一致しているところが
とても面白いと思う。

先日、ダスカロスのこういう話を思い出した。

マインド(MIND)
「マインド」はあらゆる生命の担い手。存在するすべてのものは「マインド」から出来ている。
「マインド」は振動数の違いから「超素材(マインド超素材)」「素材(マインド素材)」「固体」と形態を変える。
「マインド」は絶対存在から放射されたもので、全なる愛、全なる智恵、全なる力、そして創造主の純粋性が吹き込まれている。
「マインド」が永遠に生きるわけではない。すべての創造において永遠に使われる素材。
「マインド」の源は、神聖なる絶対存在にあり、その表現である形態は聖なるものである。
用語集 (エソテリック・ティーチングより引用)

思い切りまとめてしまうと
・創造(想像)にすべての材料は、マインドである。
・マインドは絶対存在を源とする。

というようになり、やはり先ほど書いた内容と一致する。
しかも、ちょっと感動したのは、マインドは、絶対存在から放射され
「全なる愛、全なる智恵、全なる力、そして創造主の純粋性」
が吹き込まれている、ということ。

そんな創造主の純粋性を材料にしているはずのぼくらは
しばしば、愛ではないものを選択してしまうように思えるけれど
どれもこれも、すべてが、愛であり智恵であり、そして力であるわけだ。

そして、そのおおもとは、絶対存在である神さま、ということなのだろう。

宇宙がホログラムであることを
いつか、誰かが、証明する日が来るだろうか。

それはゲームの中の主人公が、
自分の住んでいるゲームの世界のプログラミングそのものを
解き明かしてしまうのと同じことだ。

もしも解き明かすことが出来たら、、
いや、解き明かしてしまったら、
宇宙は、はっと我に返って、消えてなくなってしまうかもしれない。


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