迷惑メール

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Photo by taka (7D)

4月にはいった途端、携帯宛ての迷惑メールが来るようになった。
日に2、3通ではあるが、やはり迷惑である。
ぼくは読まずに即座に削除する。

ぼくの携帯は、例外を除いて携帯からのメールのみの受信の設定にしてあるから、ここに届く迷惑メールは、誰かの携帯から、たぶんほぼ手作業で送信しているのだろうと想像する。だとしたら、本当にご苦労なことだ。

通常のEmailであれば、ちょっとしたプログラムを組めば一気に大量のメールを送信出来るけれど、今は迷惑メール対策が行き届いているので、その手をつかっても送信エラーばかり発生して効率が悪いのだろう。でなければ、わざわざ手作業で送信してくるわけがないと思うからだ。

霊的に考えても、迷惑メールの送信は、人を陥れる行為なのだから、負のカルマを増産し続けるだけでよいことなどひとつもない。自分の愛する人が被害にあったら、どれだけ哀しいことになるか、考えるだけの想像力があれば、そんなこと出来るわけがないのだが、そこまで考えられないのだろう。

ところで、4月にはいってから、というタイミングを考えると、まさか、どこかの得体のしれない会社に入社してしまった新入社員が、初めての仕事としてせっせと送信しているのでは、とか考えてしまうんだけれど、どうなんだろう。

迷惑メールを出す人は、自分さえ良ければ、と思って生きている人たちだ。勝手に送信して、受信した人たちがどうなるかなんて、気にもしてないのだから。

もちろん、人生を追い込まれた結果、自分さえ良ければ(人のことなどかまっていられない)と考え始める人もいると思う。しかし、だとしても、他人に迷惑をかけてでも、自分が成り立てばよい、と考えていることに違いはない。

それが良いか悪いかは別にして、そういう自分で在ることに満足出来るかどうか、考えてみたらいいと思う。こういうことは、善悪で考えると、答えが出ない。答えが出たとしても、偽善的な答えになる。だから、善悪ではなく、自分がどう在りたいか、で考えるといい。

人を陥れてでも、自分が幸せになればよいのだ、という在り方を選ぶのなら、それもひとつの人生なのかもしれない。

自分さえ良ければ、という点では、福島の核発電所の事故の始末がまだぜんぜん終わっていないのに、いろいろと理由を付けて、再稼働を推進している人たちも、ぼくには、迷惑メールを出す人と同じようにみえる。特に、自分の利権を守るために、いまだに核発電は安全だ、とかなんとか言ってる人たちは、ふと我に返ったとき、恥ずかしくないのだろうかと思う。なぜなら、その人たちの利権は、世界中のたいへんな数の人たちの苦しみで出来たものだから。

ところで、ぼくも、過去を思えば、自分さえよければ、という行動をしていた頃はあった。

だいたい20代頃の、前に進むしか考えられなかった頃、まわりの人に配慮出来ないまま、生きていたことが往々にしてあったように思う。

更に、もしかすると、今でも、勝手なことをしてしまってるときもあるかも。
ここまで書いておいてなんだが、人のことはともかく、自分のことを、振り返ってみなければ、と思ったところだ。


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