インナーチャイルドが教えてくれた

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Photo by taka (X2)

ぼくの中に、少年時代のぼくが閉じ込められている。10代の頃のぼくだ。結ばれたい人と結ばれなかった記憶、叶わなかった想い、失った悲しみ、そして、諦めの気持ち。これが俗に言うインナーチャイルドなのかもしれない。閉じ込めたのは、その時々のぼく自身だ。しかし、ぼくは、ぼくが自分で閉じ込めたことすら忘れて、たまに聴こえたはずである助けを呼ぶ声も無視したまま、ここまで来てしまった。

閉じ込められた想いは、長い間、見捨てられたと感じているのだろう、ここから見ても、とても傷付いていることがわかる。心を寄せて探ろうとすると、胸がシクシクと痛んで来る。そこには、少年の頃、未完了のまま中断してしまった沢山の想いが詰まっている。

結ばれたい人と結ばれない、という感情は、きっと、ほとんどの人が経験する人生の切なさの一部であると思う。そのような感情は、その場で違うものに置き換えて昇華させてしまう人もいるだろうし、どうしていいかわからず、ずっと心の中に残したままの状態の人もいるかもしれない。人それぞれ、違うものだと思う。

ぼくの場合は、後者の方、どうすることも出来ないまま、心の奥底に閉じ込めてしまったようだ。なぜそう思うかといえば、どんなに辛い想い出も寂しい想い出も、自分が結ばれたいと願う人との想い出なら、それは何の加工もせず、ありのままの状態で、大切にとっておきたい、と考えようとした、あの頃のぼくを覚えているからだ。

あの頃、やり場のない思いを閉じ込めることを何度も何度も繰り返しているうちに、ぼくは、ぼくが結ばれたいと思う人とは、絶対に結ばれないのではないか、と思うようになった。仮に結ばれたとしても、すぐに別れのときが来るのだ、とも思うようになった。

結ばれたい、と願う人が現れるたびに、心の奥底で、閉じ込められたものたちが、「うまくいくわけないよ、おまえなんか相手にされないのだから。」と言っている声が聞えていたのかもしれない。

閉じ込められたものたちの言葉など、ぼくの中で創りだした屈折した思い込みのようなものである、というのは、頭ではわかっているのだが、結果として、ぼくはそう思い続けたまま生きて来た。そして、この思い込みには、うまくいかない原因は、結ばれたいと願う相手が、ぼく以外の誰かと結ばれるから、というのも、セットで付いていた。

それでも、これらの思い込みは、時間が解決するか、さもなくば、いつか、強く愛し合うような相手が現れて、完全に結ばれたとき、消滅するのだろう、と思っていた。だから、それまでの辛抱である、と思っていたのである。

しかし、それは間違いだったようだ。今度こそ、消滅するだろう、と思えるような相手と結ばれても、消えることはなかった。愛し合う相手が現れても、閉じ込められたものたちは、消えないのである。

大人になってからの失恋は、次の恋をすることにより失恋の痛みを忘れることが出来るように思うが、少年時代に体験して、閉じ込めてしまったものたちは、他の何かで代用したり上書きしたりは出来ないようになっているのかもしれない。その他の何かが、例え、愛だとしても。

愛で癒すことが出来ないものがある、などと書いたら、スピリチュアルな人たちから、おまえは本当の愛を知らないからそういうことを言うのだ、と言われそうだけれど、最近、ぼくは、愛では癒せないものもあるのだ、ということの可能性について考え始めている。

では、閉じ込められたものたちをどうやって癒してあげたらいいのか、ということだが、それは、閉じ込めたものたちを、解放してあげること、に尽きるように思う。ひとつひとつ、丁寧に向き合いながら、解放するのだ。もしも愛が効き目のあるお薬になれるとしたら、閉じ込められたものたちに対してではなく、解放しようとする自分に対してである、と思う。解放と同時に、再体験することで、ふさがった傷から出血してしまうような傷を負う可能性があるのだから。

さて、なぜ、閉じ込められたものたちは、愛で癒すことが出来ないのだろう。それは、ぼくの今のところの考えだけれど、それらは、自分の中で育てた幻の一部だからではないか。愛はこの世のすべてだけれど、幻はこの世のすべてに属さない。幻は幻でしかない。この世にないものを、愛は癒すことが出来ない。なぜなら、それは、もともとないものなのだから。

言葉遊びにもなりかねない、理屈っぽい文章になってしまったけれど、今日、書いたことに気付いたのは、つい最近のことだから、ぼくの中のインナーチャイルドの解放も、始まったばかりだ。

ぼくは相変わらず、閉じ込められたものたちの声を聴きながら、胸をシクシクさせて、切ない思いを抱えたままで、まだまだ、結ばれたい人とは結ばれない、と思いこんでいる部分があるけれど、反面、どうしたらその気持ちを解消出来るのか、わかったような気がした分だけ、楽になったような気もしている。

もちろん、これらの思い付きは、的外れなものかもしれない。今後の実践で何かわかったら、またこの場で報告しようと思う。


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