無宗教なぼくが宗教を語る
投稿:2014年3月2日
更新:2016年9月8日
Photo by taka (31MR)
このブログでは、宇宙とか愛とか、そんな言葉を使う場合がある。スピリチュアルな世界に親しんでいる方には、違和感なく読めると思うけれど、そうでない方の場合、これらの言葉から、なんだか宗教っぽい、或いは、ある種の胡散臭さを感じられてしまうのではないか、と一抹の不安を覚えながら書いているときがある。
まず、最初に、ぼくは、どの宗教にも属さない立場であることを、ここではっきりと、表明する(笑)
あえて言えば、実家のお墓は、仏教(曹洞宗)のお寺なので、檀家の長男であるぼくは仏教に属していると言えるのかもしれないけれど、まあ、その程度だ。般若心経はとても好きで、有り難いお経だと思っているけれど、それは仏教を信心しているわけではなく、あの書が宇宙の真理を言い当ててると思っているからだ。ぼくは、決して、特定の宗教のファンではないのである。
ぼくが、スピリチュアルな気付きを得たと実感したのは、今から10年ぐらい前のことだけれど、それ以前のぼくも、何かの宗教を信心しているわけではなかった。
宗教に触れる機会は沢山あったのである。好奇心から自ら触れようとしたこともあったし(聖書)、強力な勧誘も受けたりした(モルモン教、創価学会、統一教会)。
けれど、何か、こう、しっくりこなかったのである。馴染めないというか、すっきりしないというか。あえて言えば、自分がもっとも近い(今生における立場的に)と思っている仏教以上の安らぎを感じられない、というか。
スピリチュアルな気付きを得る前のぼくは、いつも自分のまわりにいてくれる「八百万の神」が、神さまの実体だと思っていた。子供の頃、里山探検で山道を歩いていると、沢山の神と出会っているような気がした。あの感覚が大人になっても消えなかった(今でも消えていない)。そんなぼくの感覚は、既成の宗教団体のもつ組織的な、まるでどこまで行っても人の集まりのような様子を、どうしても神さまと結び付けられなかったのかもしれない。
それに何より、全知全能の神さまなのに、特定の団体に入らないと、ご加護を得られないような仕組みから来る不公平感は、生理的に受け付けられなかった。人間の行動に対して、神さまが怒ったり罰を用意したりすることも、理不尽であると思っていた。
今では、それは誤解だとわかっている。
神さまは、全知全能であり、分け隔てなく人間を愛しているのだ。怒りもしなければ、罰したりもしない。常にぼくらを見護ってくれている。
あの不公平感や理不尽さは、宗教を取り扱おうとする人間たちが、自分たちの都合に合わせて神の教えを解釈し、変更まで加えてしまったことに対して感じるのだ。きっと神さまも(わかっていたこととは言え)やれやれと思ってるに違いない(笑)
すべての宗教が、とは言わないが、多くの宗教のもっとも最初の部分では、神さまのエッセンスにかなり近い成分で出来た教えで出来ていたはずだ。それは人間のスピリチュアルの部分で受けた、言葉にならない言葉だったと思う。ところが、そんなありがたい教えは、言葉になった途端に劣化が始まり、人から人に伝言されるうちに(エゴを通して)エッセンスが抜けおち、組織化されるうちに利害が絡み、あっという間に違うものになってしまった。
例え話で言えば、今でも、原発を必要とする人たちがいるけれど、必要としている人たちの理由はいろいろだ。
電気が必要だから原発を温存させておきたい人もいれば、利権に関わるから必要としている人もいる。核爆弾の材料を得るために原発を稼働させておきたい人もいるかもしれない。しかし、建前では、みんな、電気の安定供給のため、と口をそろえて言う。たまに口を滑らす人もいるみたいだけど。
このように、宗教に携わっている人たちについても、神さまの純粋な教えを、全員が必要としているわけではなくて、宗教を利用して自分の願いをかなえようとする人もいるわけである。教えが、純粋に伝達される可能性は、ほとんどない。
だから、ぼくは、既存宗教、特に組織的な宗教については、これからも属するつもりはない。もちろん、それらについて、ぼくは、否定するものでもない。そういう世界もあるのだ、と考えている。ぼくの考え方とは違う人たちの集まりである、という認識だけあれば、それでよいと思っている。(但し、自分たちが絶対正しい、というような人たちが集まった組織に対して、全面的に肯定出来るほど、悟っているわけでもないが。)
しかし、神さまの言葉を聴くためには、宗教団体に入るしかないではないか、と思う方もいらっしゃるかもしれない。だが、本当に神さまの言葉を聴きたい、という希望があるのなら、宗教団体に入らない方がいい、とぼくは思う。
神さまは、特定の人にだけ語りかけているわけではない。常に、満遍なく、すべての人に語りかけている。マタギギなんかせず、直接対話した方が、良いに決まっている。
神さまは、直接、あなたに話しかけることはあっても、誰かを通して話しかけることはないのだ。
さて、続くかどうかわからないけれど、これから何回か、今日のような形で、ちょっと説明しておきたいと思っている用語、例えば、「愛」、「神」、「宇宙」、などについて書いていきたいと考えている。
自分の頭の中を整理するためにも。
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