サムタイム、サムタイム

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Photo by taka (7D)

ぼくの自宅から駅に向かうまでの道の途中に、サムタイムという喫茶店があった。もう閉店して何年も経ってしまい、建物も取り壊されて、住宅になってしまったけれど、その店の雰囲気を、ぼくはとても好きだった。

ぼくは、タリーズやスターバックスなどのお店も悪くないと思っているし、よく利用させて貰っているけれど、ぼんやりとした気持ちで、まるで友達の家に遊びに来たような気持ちでいられるように過ごせるという点で、昔ながらの喫茶店は、珈琲を飲める場所と言う部分以外、全然別なものだと思っている。

ところが、流行りも手伝って、古い喫茶店は、カフェのチェーンに駆逐されてしまった。全国チェーンの店になると、東京でも地方でも同じようなレイアウトのため、自分がどこにいるのかふと忘れてしまうほどだ。それは、とてもつまらないことだと思う。しかし、実際に駆逐されてしまったのだから、多くの人が、ぼくのような喫茶店の利用をしていなかった、ということなのだろう。或いは、単に低価格でのサービスを優先したということか。

高校時代を岩手県の一関市で過ごしたぼくは、毎日、どこかの喫茶店に入りびたっていた。あの頃の一関は、今よりもずっと駅前が賑わっていて、活気があり、歩いているだけで、楽しかった。もちろん、喫茶店も沢山あった。どの店も個性豊かだった。どの店にも、マスターがいて、マスターと知り合いになることが楽しみでもあった。

とは言え、ぼくは大抵、Yというお店に行っていたけれど、なんで毎日のように通っていたのか、わからない。今思えば、あそこに行けば何か面白いことがあるかもしれない、というような気持ちだったのかもしれない。他の高校の女子なども来ていたので、出会いを求めていたのかもしれない。但し、ここで彼女が出来るなどというようなことはなかった。

他にも、いくつか、想い出深いお店があるんだけれど、その時々の用途で使い分けていたのだと思う。そして、あの頃のまま残っている店は、ネットで調べてみる限り、どうやらひとつだけしかないようだ。

あの頃、あの店たちではなく、今のようなチェーン店しかなかったとしたら、果たして、ぼくたちはあの日のように入り浸っていただろうか。そうはしなかったような気がする。そうしたくても、チェーン店側で、そこまでの器を持って接するとは思えない。中には人の良い店長のお店もあるだろうけれど、経営の観点から考えたら、回転率の悪い状態は可能な限り避けるはずだ。

あの頃、あの店たちが持っていたのは、貧乏な若者たちが珈琲やアイスミルク一杯で長時間たむろしてもいいような器だ。迷惑な部分もあったのだと思うけれど、お店はぼくたちを広い懐で包んでくれていた。それはまるで我が家に尋ねて来た友人に近い対応だったのだと思う。

そう考えると、勝手な憶測だけど、今の若者たちは、ぼくらが経験した楽しみのひとつを経験出来ていないのかもしれない。

そう言えば、帰省したときに、いつも立ち寄っていた大船渡の野々田の交差点の近くにあった喫茶店は、東日本大震災で津波に流されてしまった。オーディオ好きのご主人が夫婦でやっていた趣味のよいお店だった。ご夫婦ともご無事だと聞いたけれど、今、どうしているのだろう。

というような感じで、サムタイムがあった場所の前を通るとき、昔の喫茶店のことを思い出したりする。過去にすがりついているわけではないのだけれど、ふと想い出を辿っていることは少なくない。

それは今の生活が、あの頃よりもつまらないからなのか、それとも、あの頃を糧にして、今を生きようとしているのか、ぼく自身、全然わからない。


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