自分に起きることを信頼する
投稿:2013年10月26日
更新:2015年3月22日
Photo by taka (7D)
公私ともに、というか、自分だけではなく、世界のあちこちを含めて、いろんなことが起きている。テレビや新聞だけの情報だと、善し悪しは別にして、情報が平坦化されているので、気付けないことも多いけれど、その気になって世界中のメディアやネットの情報を漁れば、去年までと、今年を比べたら、その変わりようにびっくりするかもしれない。
あ、ちょっと大袈裟だったかな(笑)
いや、何が起きてもいいのだ。みなさんを脅したり不安に落としたりするつもりなど全くない。天災が起きるとか、国が滅びるとか、そんな話を始めるわけではない。何が起ころうと、起こるまいと、それは問題ない、ということを書きたかった。ただ、今のこの時は、いつもよりも多めに出来事が起きているけれど、心配に及ばず、大丈夫だよん!とお伝えしたく、今日のブログを書いている。そんなことを書いているおまえは大丈夫なのか?昨日もなにやら弱気になっていたではないか、と言われそうだけど。
だから、なぜ大丈夫なのか、ちょっと書きたい。自分でも忘れがちになるから、自分に言い聞かせる意味でも。そういう意味では、今日は久し振りにスピリチュアルな話題である。
こうして生きていると、本当にいろんなことが起きる。いいことも、そうとは思えないことも、数え切れないほどの出来事に囲まれて、ぼくらは生きている。これは誰でもそうだと思う。一日中、何も起きなかったという人はいないか、何も起きなかったと思いこんでいる人だけだ。何も起きないなんてことは有り得ないのだから。
そして、この出来事たちは、なんと、すべて自分のために起きている。無限と思える数え切れないほどのたくさんの出来事のすべては、自分のために起きている、ということだ。
自分のために起きている、というのは言い換えれば、自分なしでは世界は成り立たないということである。また、自分のために起こっているということは、自分にとっては、最善の出来事だけが起きている、ということでもある。そこに嘘も偽りもなく、ただただ、自分のために、宇宙が出来事というギフトを創造し続けているということである。
もしも、悪いと思えるような出来事が起こったとしても、それは自分のために起きていることだ、ということを心から信頼出来るようになれば、大抵の出来事については、なんとか乗り越えられるように思えるのではないだろうか。そして、それは気休めではなく、まさにその通りなのである。
どんな出来事が起きても、落胆することはない。起きた出来事を結果として捉えるのではなく、原因にしてしまえばいいのだ。そして原因と結果を結びつけるのは、ぼくらの選択。どんな選択をするか、言い換えれば、自分がどう在るべきかしっかりと考えれば、ぼくらは、ぼくらの望んだ結果を選択することが出来る。これは以前のブログにも書いたことがあるけれど、原因と結果を逆転させる魔法のひとつだ。
そこで必要なのは、起きた出来事に対して絶大な信頼を寄せて受けとめることと、起きた出来事に対して、自分で在り方を決める、ということだけである。
ね?大丈夫でしょ? ^_^
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