2020誕生日の記録

photo by taka

今日は誕生日だった。いつもよりも、いろんな人からお祝いのメッセージを頂いた気がする。ありがたいことだ。ありがとうございます。

9月11日と言えば、ぼくにとっての一番のイベントはもちろん、ぼくの誕生日だけど、ある年のぼくの誕生日に大変な事件が起こった。そう、米国同時多発テロである。今でも覚えているのは、仕事から帰って来たら、テレビにワールドトレードセンタービルに航空機が突っ込んだ映像が流れていて、驚いていたこと。それぐらいの時間に帰ってきたということは、あの日は誕生日だったけれど残業してたんだろうな。それからぼくの誕生日は世界中で911と呼ばれる特別な日になってしまった。

そんな衝撃的な出来事があったせいか、ぼくはあの頃のぼくをよく覚えている。音楽とか写真とかそういう好きな趣味から離れてしまい、ほぼ仕事ばかりしていた。趣味っぽいことと言えばパソコンとネット。仕事の延長のようなことを趣味でやっていた。もうサラリーマンではなかったけれど、社会の歯車として生きることに誇りを感じていたような男だったかもしれない。そういう意味では純粋で社会に対して疑いのようなものはなく、テレビや新聞の情報は正しいと思っていた。報道する人たちを100%信用していた。

しかしその後、まあ、いろいろあって、今に至るんだけど、マスコミからの情報を100%信用することはなくなった。仮にマスコミ側に悪意がなく、ありのままに伝えようと努力したとしても、100%はあり得ない、ということもわかった。例えは極端だが、報道も所詮、伝言ゲーム、人から人へ情報が伝達されるたびに劣化するのである。更に、伝えたい側に何らかの意図があれば、意図というフィルターを通った途端、著しく情報は劣化する。うのみにするのは大変危険なことだ。

911の後、ぼくはひょんなことからスピリチュアルにはまる。一番のハマるきっかけになったのは、オーラが見えてしまったからなんだけど、そこから始まって、真実は自分の中にしかないことに気づいてしまった。だから何とかして自分が直接見聞き出来ないものに対して、不思議な力を使って判断を行ったり、影響を与えたりしたいと思ったのかもしれない。ただ、こんなぼくが、自分の中をのぞいてみたところで、例えば、911の真実がわかるわけでもないのであった。

それでも、実体験とスピリチュアルで言われていることを比べたり実践したりしながら、ハマった分だけ何かを学んだと思う。そんな今のぼくは、スピリチュアルというものは、現実と同じ場所にある、という結論に達している。この世もあの世もここにある、である。だから霊界だろうが幽界だろうが、特別視していない。すべてが波で出来た形なきものである。

もっとも、この社会に生きていて、「すべて形なきものである。」と宣言したところで、頭のおかしい人だ、で終わる可能性が高いし、そもそもそう叫んだところで何も起こらない。税金が免除されたり給付金が振り込まれたりすればいいのだけれど、そんなことは起こらない。だから働き続けるしかないのだ。ただ、以前のように仕事重視ではなくなった。

さあ、これからどうしよう、と考えているところである。本当はお金のかからない生活に移行していきたい。お金のあるうちに引っ越し等完了させて新しいスタートをしたいのだが、背負うものが多くて簡単にはいかないようだ。


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