死後の世界ってほんとにあるのかな?
投稿:2016年3月13日
更新:2016年3月13日
Photo by taka (7D)
最近、死後の世界って、本当にあるのかな、と考えたりする。
物心ついたときから、八百万の神々がいると信じていたから
もちろん、霊魂とか、目に見えない存在たちも
どこかにいるのだ、と思ってきたぼくだけど、
ここまで来て、ほんとかな?と思い始めた。
スピリチュアルについての探求も
オーラが見え始めた頃からだから
もう10年以上になる。
食べ物や行い、祈りや瞑想、その他いろいろ
スピリチュアルにいいと思うことは
そんなに一生懸命ではないにしろ、あれこれ試した。
自分なりにバランスを考えながら
妄信せず、実践と実証を重ねながら
高次の存在の声を
よりクリアに聴きとれるように
宇宙に思いが通じるように。
だが、ここまで来て
非二元論について考え始めたことで
先日も書いたけれど
どこまでが現実でどこまでが幻想なのか
よくわからなくなってきた。
非二元論の立場でいえば
絶対的なものがひとつあるだけで
他は、ぜんぶ、幻想である。
絶対的なものの存在に気づくためには
スピリチュアルも宗教も必要なくて
野菜食べようが肉を食べようが関係なくて
善人だろうが悪人だろうがどっちでもよくて
ただ、これがあることを
気づきさえすればよい、ということなのである。
なぜなら、これ、しかなのだから。
少なくても、信念体系になってしまうようなものは
間違いなくすべて幻想なのだろうな。
スピリチュアルなことが
実は、幻想だった、というのなら
まあ、それはそれで、いっか、と思えるけれど
じゃあ、死んだあと、どうなるの?とか
霊魂は存在するの?とか
スピリチュアルなことを知る前の
もっともスタート地点まで戻ったような
気持ちでいるように思う。
天国や地獄は、絶対にない、ということはわかる。
しかし、死んだあとも「現実に存在」しているものは
何も消滅しない、というのもわかる。
命は、生まれたり死んだりするものではなく
最初から存在し、永遠に継続するものなのだ。
けれど、ぼくらそのものは
「現実に存在」するもの、なのだろうか。
非二元論の立場でいえば
ぼくらそのものは、幻想に過ぎないのではないのか。
となると、死んだあと
この思考は、消えてしまうのだろうか。
思考が消えたら、意識も消えてしまうように思う。
それは、死後の世界はない、というのと
結果的に、同じ意味になるのではないのか。
ぼくらが幻想だとすると
スピリチュアルを取り巻く世界も
幻想なのであろう、と先日書いたけど
それは、ただの幻想なんかじゃなくて
ひとつの現実なのだろう、と思っている。
幻想の世界でおこることは
幻想の世界で生きているものにとっては
現実そのものであるのだから。
その世界の中では
輪廻転生しながら人々は生き続け
悪魔もいれば天使もいるし
高次の存在もいれば妖怪たちもいる。
現実にしかみえない世界ではあるが
実は、幻想の世界なんだから
なんでもありになるわけだ。
でも、死んだ途端に
幻想の世界は消滅してしまう。
映画のスクリーンは真っ暗になり
夢をみていたぼくらは
明晰さを取り戻して目を覚ます
そのとき、ぼくらは、
どこにいるのだろうか
ここにいられるのだろうか。
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