浮気した彼氏を捨てる方法
投稿:2013年7月15日
更新:2015年3月21日
Photo by taka(IXY400)
「らばQ」というご機嫌なサイトがある。ご存じの方も多いのではないか。
ぼくの場合は、お昼休みに弁当を食べながら読むことが多い。このサイトでは、猫に関する記事が多いので、とても楽しい。もちろん、それ以外でもいろいろな記事を読んできた。もっとも感動したのは、やはり猫が出てるやつだったけれど、それはまたいつか紹介するとして、今日は、ぼくのある過去の記憶を引き出した記事を紹介する。
らばQ 2013年06月10日 12:21
「なんて正しいやり方なんだ…」と絶賛されていた『浮気した彼氏を捨てる方法』
内容の方は、リンク先を見ていただくとして、こういうケジメの付け方もあるのだなと(男の立場からすれば、ケジメの付けられ方だけど)いう良い見本であります。ほんとか?(笑)
この記事を読んで、ぼくは以前、ちょっとだけ付き合った女性の言葉を思い出した。
そのとき、ぼくは、彼女と付き合い始めの頃で、週末、お酒を飲んだ後、どこかに泊り、そして、朝の遅い時間、駅前のコーヒーショップで、彼女のおしゃべりを聞いていたんだった。
彼女は、何を思ったのか、前に付き合っていた彼と、別れたときの話を始めた。おっとりとした女の子で、ゆっくりと話すんだけれど、媚びた風でも甘えた風でもなく、ちょっと笑みを浮かべながら淡々と話す彼女の表情を、ぼくは鮮明に覚えてる。
別れの原因となったのは、彼の浮気だったそうだ。他に女がいることに気付いた彼女は、すぐさま、彼と別れることを決心したらしい。この辺りは、見かけからは想像出来ないような思い切りの良さというか、容赦のない性格の彼女である。
別れる決断をした彼女は、彼が留守のときに一人暮らしをしていた彼の家に行き、洋服ダンスを開けて、ある行動に出た。
さて、何をしたと思いますか?
彼女は、お洒落な彼が、一生懸命集めた洋服を全部床に出した後、ペットボトルに入った醤油をジャバジャバとかけたそうだ。それから、メモ用紙に「さようなら」と一言書いて、その場を立ち去ったということだ。もちろん、合い鍵はポストに入れて。
らばQの彼女のように手は込んでいないけれど、これはこれで、ひとつのケジメの付け方として、良い見本なのではないだろうか。
そう言えば、片岡義男さんの小説だったと思うけれど(違ったらごめんなさい)、別れのケジメに、どこかのレストランで向かい合った彼に対し、すっと席を立ち、ワインを頭からかける場面を思い出した。これもまた、ひとつのケジメとして、とても正しい。
と、ここまで、書いて、ぼくは、つい最近の、ぼく自身に起こったことを思い出した。
地下鉄の終点の駅まで着いて、私鉄に乗り換えようとホームを歩いていたぼくは、向こう側からこちらに向かって歩いてくる人たちの中に、よく見慣れた、けれど、とても懐かしい人を見つけたのである。
それは、20年以上前に付き合っていたことのある女性だった。薄い枯れ葉色のワンピースを着ていた。顔立ちは、少女から大人の女性に変わっていたけれど、間違いなく彼女だった。ぼくは、思わず(今、思えば、ノーテンキに)、人目もはばからず、大きな声で、彼女の名前を呼んだ。一度では気付いて貰えなかったので、ぼくは都合、3回、呼んだように記憶している。久し振りの再開がとても嬉しかったし、もちろん、彼女だって、奇跡のような再会を喜んでくれると思いながら。
ところが、彼女はどうしたと思う?
声に気付いた彼女は、ぼくの顔を見るなり、一瞬固まって、それから、見てはいけないものを見たかのような険しい表情になり、顔をそむけた後、避けるように小走りに去っていった。そのまま、人ごみにまぎれながら、始発電車として待機している車両に乗ってしまった。
もちろん、追いかけるような無粋なマネはしなかった。
そう言えば、彼女とは自然消滅のような別れ方をしていた。だから、ぼくの心の中では、まだ彼女と続いているような感覚が残っていたかもしれない。しかし、あの奇跡の再会の瞬間、ぼくは完全に、彼女から退けられた。
あ、もしかして、要するに、これが、彼女がぼくに対してしたケジメだったのではないか、とたった今、このブログの一覧の文章を書き綴りながら、思い至った。
20年以上の空白の時間を費やして起きた別れの儀式。
ある意味、ぼくは、その瞬間、捨てられたのだ。
もっとも、これは失恋とはまた違った感覚ではあるけれど。
恋愛について、いろいろなケジメの付け方があると思うけれど、どちらかというと、ぼくは、明確なケジメとか付けないままであることが多いかもしれない。恋愛したぐらいの間柄なのだから、2人は特別な関係であり、例え、恋の終わりが来たとしても、よき友人でいられるはずだ、と思う部分があるから。
しかし、それはぼくの(一方的な)考え方であって、相手にしてみれば、思い出したくもない過去だったりするのだな、ということが、今回、よくわかった気がする。
別の見方からすれば、ケジメのないだらしない感覚として嫌われるものなのだろう。
それはそれで、理解出来る。
だからといって、もちろん、ぼくはぼくの考え方を変えようと思っているわけでもない。
ただ、過去にお付き合いしてくれた女性たちに対して、その時々で、ぼくが至らなかったところについて(一方的にわがままに振舞ってしまったことについて)、お詫びしてまわりたい気分ではある。
ああ、また、馬鹿なことを書いてしまった。
どんどんスピリチュアルサイトから離れて行く(笑)
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