エゴがスピリチュアルを語る

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Photo by taka (7D)

昨日は、久し振りにスピ系の話を書いたけれど、ほとんど勢いで書いた。途中で立ち止まり振り返ると、もうそこで書けなくなってしまうので、前だけ見て書いた(笑)

以前のぼくは、毎日のようにスピネタを用意して書いていた頃もあったのだが、今は、到底真似出来ない。ネタが浮かんでも、なかなか最後まで辿り着けない。

ぼくが、ここのところ、スピリチュアルなネタを書けないでいるのは、ある意味、以前よりもぼくがスピリチュアルに近づいたからではないか、等と思っている。自画自賛してるみたいだけど、そういうわけではない。冷静に観察しての話である。

毎日のようにスピ系のブログを書いていた頃は、今よりもスピリチュアルではなかった。話の内容は、スピ系のネタだったとしても、そのネタを書いていたのはスピリチュアルなぼくではなく、エゴのぼくだった。ぼくの中にいるエゴが、スピの話を書いていたのだ。エゴだからこそ、あれだけ書けたのだ。

だが、あの頃は、エゴが書いているなどという自覚はなかった。ぼくが書いていると思っていた。いや、書いていたのはぼくだから、それは間違いないのだけれど、まさか、ぼくの中のエゴが書いていたとは。エゴがスピリチュアルな顔をして、ブログを書いていたのだ。しかも、エゴは自分がスピリチュアルだと思っていた節もあって、これは本当に、ジョークに違いない。

なぜ、エゴが書いていたかと言えば、もっともわかりやすい部分として、自分の存在価値を高めようと、頻繁にブログを更新し、出来るだけ読者を集め、他のブログよりも有名になろうとしていた。

もちろん、内容にも気を配り、読んだ人の気付きにつながるよう、書いていたと思うけれど、それはすべてエゴの自己満足のためである。その時のぼく(エゴ)は自己満足だなんて思ってはいなかったけれど、今、こうして離れてみてみると、自己満足以外の何者でもないのである。

じゃあ、今は違うのか、と言えば、実は、今も、エゴが、このブログを書いている。但し、以前と違うのは、エゴがエゴである自覚をしていることだ。以前のぼくのエゴは、自分がエゴだとは思っていなかったけれど、今のぼくのエゴは、自分がエゴであることをしっかりと自覚している。

今、ぼくはエゴであり、エゴの自覚を持ったエゴである。

スピリチュアルに近付くためには、エゴから離れていかなくてはならない。しかしスピリチュアルなブログを書いているのは、ぼくのエゴである。この不思議に気付いてしまったから、ぼくは、ぼくの中で消化し切れない何かを感じたままだし、自分の書いている内容すべてに対して、少し遠くから眺めながらも、あやしげなものを感じてしまうようになってしまった。だから、ブログも書けなくなってしまったのだ。

エゴがどれだけスピリチュアルになろうとしてもなれない。とても上手に真似をすることは出来るけれど、決して本物にはなれない。

でも、そんな風にきっぱりと書いてしまうと、なんだかエゴが可哀そうになってきた。(可哀そうになって来たのは、そもそも、ぼくの意識がエゴで出来ているからかな。)


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