切ない気持ち

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Photo by taka (IXY400)

11月の中旬頃に書いたけれどアップしていなかった記事である。この記事は、特にタイムリーな内容ではなく、過去の文章を見つけて引用したもので、いつアップしても良かったので下書きフォルダに入りっぱなしだった。今日はこれをアップしてしまおうと思う。ちょうど昨日、ここに出てくる一関地方では、雪が降ったようだ。そんなこともあってアップしたくなった。ちなみに、恋愛ネタである(笑)

ブログの整理をしていたら、古いホームページに掲載していた記事を見つけた。15年前に書いたものである。読んでみると、今のぼくよりもずっと感性がいい(笑)昨日、過去記事から抜粋した「なんちゃってチャネリング」についても同様に思ったけれど、以前のぼくは、現在のぼくよりもストレートだった。もっともその分、今読むと恥ずかしくなるようなことも沢山書いている。エゴの主張というか自分に酔っているというか。

ちょっとだけ手直しして掲載する。何かの読み物と思って読んでくれたらいい。ちなみに、恋愛系のなよなよした話なので、そのようなものが苦手な方は、パスされることをお勧めする。それと、もしかすると、この話は、過去のブログにも載せたかも?そんなときは、「聞いた聞いた~!」って言いながら、×ボタンを押してください ^_^;

15年前の話だから、ぼくはまだ、スピリチュアルとは無縁の頃だ。そうでなくても、いろんな意味で、つっこみどころ満載だと思う。でも、個人的には、あの記憶(この記憶か)が、たった15年前のことなのか、と思うと、なんだかちょっと驚きだ。本当に古い古い、遠い遠い、昔話のように思えるから。そして、ぼくは、ここに出てくる女性のことも、今では、古き良き想い出になっていることも、ここに書いておきたい。

今、ぼくは実家に来ている。今日の岩手は雪だった。

今朝、と言っても既にお昼近い時間だったけれども、ぼくの実家のある大船渡の天気は、よく晴れたいい天気だった。 仙台の自宅に帰る妹を送る為に、海岸近くの国道45号線を走った時の大船渡湾の景色は、冬の青空と濃い海の青さで最高の眺めだった。

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Photo by taka (IXY400)

しかし峠を幾つか越え、一関についた頃には天候も崩れて雪が降り出した。真っ白な空から無数の雪が降り落ちてくる中、妹の旦那との待ち合わせ場所の一関サティに到着した。駐車場では雪化粧の車たちと冬の人たちの寒そうな行き来が、出来過ぎた映画の1カットのようにぼくの前の中に映った。少しの間、ぼくは立ち止まって、落ちてくる雪を仰いだ。

雪には沢山の思い出があるような気がする。でも、どういう思い出があったか、それぞれを明確に思い出せるわけではない。 ぼんやりとした感じだ。雪が少しずつ降り積もって大雪になるように、少しずつの忘れがたい思い出が重なって大きな想いになっているのかもしれない。そしてそれら一つ一つはきっと切なくて寂しくなるような思い出なのだろうと思う。

例えば少年時代、大好きな彼女と過ごす雪の日。

寒い中、二人で寄り添って歩く。雪が二人をつつんで、すごくロマンチックで切ない時間だったはずだ。日も暮れてしまい、門限を気にしながら彼女を家の前まで送り届け、こっそりとキスをした。(はずだ。)

そして今度は独りの帰り道。誰かにもらった大切な詩集のページを、丁寧に、少しずつ少しずつ、めくっていくように、彼女との時間を思い出す。彼女のしぐさ、言葉、呼吸、全てを忘れない様にしようと思ったはずだ。そんなぼくを、降り積もった雪明かりがほんのりとつつむ。たったこれだけの事だけでも、記憶の奥底に雪のひとひらのように残っているのだ。そしてそんな思い出が重なり合って、切ない固まりを形成しているのだろう。

吹雪の夜、岩手の峠道を一人で車で走っていると、視界がほとんど無いせいか、世界の中で自分一人だけが存在するような気持ちになる。フロントガラスから見える景色は、落ちてくる真っ白な雪だけだ。ヘッドライトの光が降る雪の壁に遮られ、宙に浮かんでいるような気分になる。真っ白な雪と真っ暗な世界の見事なコントラスト。スリップしないように気を付けながらゆっくりと車を運転しているので、ますますふわふわした感覚になる。ここまで書くと、とてもいい気分のようだが、実際にはとても寂しい気持ちでいっぱいだ。

真冬の雪の降る夜に、大好きな人と過ごした後の帰り道の記憶が、そういう気持ちを呼び起こすのかもしれない。少なくとも単に一人ぼっちだから寂しいと言う理由とは違うと思う。

だから今日のぼくは、とても切ない。雪の中をいつもより時間をかけて運転しながら、完全に雪に心を乱された。ここに帰って来てからしばらく時間が経つが、その切なさから抜けられないでいる。本当はそんな状況から抜け出す為にこの文章を書き出したのだが、ここまで書くのにも、大変な時間を費やしてしまった。

人生の中で一番愛している人と思い出を作りながら、ずっと一緒に暮していけるのならば、多分、このような切なさや寂しさは経験出来ないのかもしれない。「困った雪だな。」と思って終わりだ。目の前にある幸せを噛み締めながら、愛する人と一緒に眠る事が出来るのだから。でも今のぼくはそうではない。愛する人を求めているのに、その人はここにいない。そんなぼくの魂は、すぐにでも凍えてしまいそうな状態だ。そして本当に凍えてしまったとしても、誰も癒してくれるわけではない。自分で自分を溶かしながら前に進んでいくしかないのだ。それは辛く悲しい。

しかし、このような気持ちを知る事は、幸せを求め続ける為にはとても大切な事なのかもしれない。人間は満足してしまうと、せっかく得た幸せを忘れてしまう生き物だ。満腹になった途端に食べ物に対する執着を失ってしまうように、幸せの中に長くいると幸せへの執着が無くなってしまう。もちろん更なる幸せを求める事になるのだろうが、それは簡単に手に入るものではないし、欲張った幸せが、本当の幸せを意味するとは限らない。そしてそんな飽食に近い状態で生き続けると言う事は、生きる喜びを半減させてしまうのだ。ただ、そんな事をぼくが言っても幸せな人に対するひがみにしかならない様な気もするが。

「何故、一番好きな人といっしょにいる事が出来ないのだろう。」とぼくがつぶやいた時に、「それは、その人を一生愛し続けていなさい。って事なのよ。」と言われた事がある。そう言ってくれたのは、ぼくよりも随分と歳下だけれど、感性がすごく鋭い尊敬出来る女性だった。そして、それを聞いた途端にぼくの心は一つの回答を得た。愛しているのなら、どんな状況だろうと愛し続ければいい。相手がどこにいようとぼくをどう思っていようと愛し続ければいい。コミュニケーションが一切出来なくても姿を見る事も出来なくても気が済むまで愛し続けよう。そしていつの日か、奇跡が起きて、世界が二人でいる事を許してくれる時が来たとしても、大切な人を愛し続けていく為に、ぼくはこの切ない気持ちを大切にしよう、と思った。

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Photo by taka(IXY400)

今度、雪が降ったら、あなたも、ちょっと立ち止まって、舞い下りてくる雪を仰いでみるといい。もしかすると、あなたの本当の幸せが実感出来るかもしれない。


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