激動かもしれない日々のなかで


Photo by taka (7D)

まったく個人的な話だけど
去年から今年にかけて
とりまく人間関係の動きが激しい。

「激動」というほどではないと思うけれど
実感が伴っていないだけで
後で振り返ったとき
まさに激動の時期だったなあと思うかも。

スピリチュアルというものに夢中になり
いろいろな本を読んだり実践したりしながら
それから約10年過ぎて
一昨年あたりから
なんとなく卒業したような気持ちになった。

もちろん、卒業したような気持ちになったわけは
スピリチュアルを体得したから、というわけではない。

熱中し過ぎた結果、正直、飽きた、
という部分もあると思うけれど

一番の理由は、
結局のところ、宇宙には、何もない、ということが
しみじみとわかった(ような気になった)から。

言い換えれば
この現実で見聞きしたり考えたりしてることも
スピリチュアル(または想像の世界)で
思考していることも
同じところにあるんだな、と気づいたからだと思う。

そんな風に書くと、10年以上もの長い間
無駄な探求をしていたようにも思えるけれど
まったくそんなことはなくて

「結局のところ、宇宙には、何もない」

ということがわかったのだから
これはこれでとてもよかったのだろう。

なにもないことを知るためには
どこになにがあるか調べなければ
わからないのだから。

なにもないといっても
こうして生きているなかでは
それこそ無限に
いろいろなものがある(ように思える)わけで

「何もない」ことと
「無限にいろいろなものがある」ことが
正反対のようでありながら
同じ意味であることに
きっと、すべての答えがあるのだろう。

はっきりと見通せたわけではなく
なんとなくそう思えただけなので
悟りの境地に達するのは
まだまだ、まだまだ先なのだろう。

そして、多分、そこに辿り着くためには
何かを学んだり
身に着ける必要はまったくなくて

その逆である
なにもかも、自分から落としたとき
(=何もない状態になったとき)
辿り着けるのだと思う。

激しい動きのなかで
なにもないことを実感するのは
とてもむずかしい。

そういうとき
ここぞとばかりにエゴが増大して
不安やら執着やら
様々な感情を見せつけてくる。

もしかすると
激しい動きの数々は
ぼくがここまで辿り着くのを
待っていてくれたのかもしれない。

もしもそうだとしたら
本当にありがたいことだ。


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